後悔しても遅い、裏切り者には地獄を第3話
第3話は約2,384文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
母が残してくれた唯一の形見、先祖代々伝わる腕輪を売り払い、ようやく父の治療費の一部を工面できた。
ガラス越しに、人工呼吸器の管に繋がれた父の姿を見つめる。
幼い頃、母が早くに亡くなってから、父は男手一つで私を育ててくれた。
休みの日はいつも遊園地に連れて行ってくれ、私を肩車しては「麗華ちゃんはパパのお姫様だ」と言ってくれた。
どんな時も私を最優先し、何不自由なく育ててくれた父。
蓮と婚約した日、父は酔っ払って私の手を取り、初めて私の前で涙を見せた。
「麗華、やっと支えてくれるいい相手が見つかったな。
これでお父さんもお母さんに顔向けができるよ」と。
あの日、私は誓ったのだ。
蓮と結婚したら、二人で親孝行をして、お父さんを世界一幸せな父親にしてみせると。
それなのに、父の治療費すらも十分に工面できず、父が苦しむのをただ見ていることしかできない。
私は涙を拭い、ICUの中の父に向かって心の中で誓った。
「お父さん、安心して、必ず治してあげるから」
それから数日、蓮が姿を見せることはなかった。
ある日、私は病院の廊下の端で、知人たちに借金を頼む電話をかけ続けていた。
その時、近づいてくる足音が聞こえた。
振り返ると、そこには、大きな白菊の花束を抱えた優奈が立っていた。
「麗華さん、蓮さんに言われてお見舞いに来ました」
彼女はそう言いながら、ICUのガラス窓の前に歩み寄った。
そして、生気のない父の姿を見て、嘲笑うように言った。
「あら、麗華さん。お父様、こんな姿になっちゃって……
この菊の花、お似合いだと思いません?」
怒りで頭が切れそうになったが、ここは病院だ。
私は必死で怒りを抑えて言った。
「要らない、その花を持って失せなさい」
優奈は聞こえないふりをして振り返り、白菊の花束を私に突き出した。
押し返そうと手を伸ばした瞬間、彼女は手を離した。
花束が地面に落ち、その中から一通の不祝儀袋が滑り落ちた。
表書きには黒々と「御仏前」の文字が書かれている。
私は目を見開き、彼女を睨みつけた。
「どういう意味?殺されたいの?」
優奈は勝ち誇ったように笑った。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか?
蓮さんが言ってたんですよ。
付き合いも長いし、親父さんの葬儀費用くらい自分が出して、盛大に見送ってやるって。
これはその手付金ですよ」
「ふざけないでよ!」
これ以上は我慢できなかった。
私は衝動的にその不祝儀袋を引き裂こうと飛びかかった。
しかし、私の指がその不祝儀袋に触れるより早く、優奈は大げさに悲鳴を上げながら後ろへ飛び退き、壁に激しく体を打ち付けた。
何が起きたのか理解する間もなく、エレベーターホールから蓮が飛び出してきた。
床に倒れ込んだ優奈を見るなり、彼は有無を言わさず私の頬を平手打ちした。
顔が腫れ上がり、耳の奥で耳鳴りだけが鳴り響いていた。
「麗華、頭がおかしくなったのか?優奈が見舞いに来てくれたのに、暴力を振るうなんて!」
蓮は優奈を庇うように立ちふさがり、まるで狂人を見るような目で私を睨んだ。
優奈は痛むように腰を押さえ、涙を浮かべて顔を歪めた。
「蓮さん、私は大丈夫です……
麗華さんはきっと、ご機嫌が悪かっただけです。
責めないであげてください」
「大丈夫なわけないだろ!」
蓮の怒りはさらに燃え上がり、私を指差して怒鳴った。
「麗華!もし優奈に何かあったら、ただじゃ済まさないからな!」
私は床に散らばった白菊の花びらを見つめた。
頬の痛みより、胸の痛みのほうが強かった。
虚ろな目のまましゃがみ込み、花びらを片付けようとする。
そこで、蓮はようやく足元に落ちている不祝儀袋に気づいたようだ。
彼は眉をひそめた。
「おい、誰と揉めたんだ?病院に不祝儀袋なんて持ち込んで、縁起でもない」
私は顔を上げ、充血した目で彼を睨みつけた。
「今ICUにいるのは、私の父なのよ!
あなたが会社を潰したせいで、父は今、生死の境をさまよってるの!
それなのに、よくもこんな不吉な真似ができたわね!」
蓮の表情が変わった。彼は数秒ほど呆然とした後、スマホを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。
私は地面にしゃがみ込んだまま、散らばった菊の花を拾い集めながら、心の中で父の無事を祈り続けた。
ほどなくして電話を切った蓮の顔には、反省の色など微塵もなく、むしろ怒りが増していた。
彼は私が集めた菊の花を蹴り飛ばし、不祝儀袋を踏みにじった。
「麗華、俺を騙してそんなに楽しいか?
今、病院の友人に確認したぞ。親父さんは軽い脳卒中だってな。
命に別状はないそうじゃないか!」
私が何も言わずにいると、逆上した彼は私の胸を蹴りつけた。
その勢いで、私は後ろへ吹き飛ばされた。
激痛で息ができない。涙で霞む視界の先には、見知らぬ他人のような男が立っていた。
「騙してなんか……ない……
医者は……いつどうなるか分からないって……どうして信じてくれないの……」
涙を流す私を見て、蓮は反射的に近づこうとしたが、すぐに優奈に腕を掴まれた。
「蓮さん、嘘泣きに騙されちゃダメですよ。
きっとあの五千万円を取り返したくて、お芝居してるんです!」
蓮の表情が揺れ動き、やがて冷たい軽蔑の色に染まった。
彼は私から視線を外し、優奈に優しく礼を言った。
「ありがとう、優奈。危うく騙されたところだった」
そう言うと、蓮はスマホを取り出した。
「麗華、お前はもう救いようがないな。
お前のカードは利用停止を申請してやる。
仮病までして、お前ら二人、いつまでこの茶番を続けられるか見ものだな!」
その時、ICUの中から甲高い警告音が鳴り響いた。
モニターの波形がフラットになった。
医師と看護師が慌ただしく駆け込み、一人の医師が飛び出してきて叫んだ。
「心停止です!ご家族の方は?」
蓮は凍りついた。ガラスの向こうの光景を見て、その顔色がみるみる青ざめていく。
彼は震えながら私を見た。
「嘘だろ……親父さんが……本当に危篤なのか?!」