さようなら、娘より愛人を選んだ元夫第1話
第1話は約2,999文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
復縁してから、私――四方田早苗(よもだ さなえ)は夫をレンタルするようになった。
夫の幼馴染が、彼を私のもとから呼び出すたびに、私はもう以前のように泣きわめいたりしない。ただ、時間単位で料金を請求することにした。
昼は一時間100万円、夜は一時間200万円、休日は三倍。
それを三か月続けただけで、私の口座には2億近い金が振り込まれていた。
パーティードレスを選びに付き合うと約束していた日も、あの女から夫に泣きつく電話がかかってきた。
「包丁で手を切っちゃったの……」
私は顔も上げず、無言で送金用のQRコードを差し出した。
ある夜、私が突然高熱を出し、夫が慌てて病院へ車を走らせていた時のこと。
また彼のスマホが鳴った。
画面に表示された女の名前を見て、彼は何度もためらった末に電話に出た。
スピーカーの向こうから、か細い泣き声が聞こえる。
「理人さん、雷が怖くて眠れないの。そばに来てくれない?」
私は慣れた手つきで傘を取り出し、次の交差点で降ろしてほしいと告げた。
何か言いたげな夫に、私はただ微笑んだ。
「お金、忘れずに送ってね」
娘の定期健診の日。
またあの女から電話がかかってきた。
「理人さん、陽太が遊園地に行きたいって。やっぱり絶叫系って男の人が一緒じゃないと……」
電話を切った理人は振り返り、しゃがんで娘に話しかけようとした。
すると娘――結城碧(ゆうき あおい)は、私の真似をして小さな手を差し出した。
「大丈夫だよ、パパ。お金を送ってくれればいいから。今日は三倍だよ」
* * *
復縁してから、私――四方田早苗(よもだ さなえ)は夫をレンタルするようになった。
夫の幼馴染が、彼を私のもとから呼び出すたびに、私はもう以前のように泣きわめいたりしない。ただ、時間単位で料金を請求することにした。
昼は一時間100万円、夜は一時間200万円、休日は三倍。
それを三か月続けただけで、私の口座には2億近い金が振り込まれていた。
パーティードレスを選びに付き合うと約束していた日も、あの女から夫に泣きつく電話がかかってきた。
「包丁で手を切っちゃったの……」
私は顔も上げず、無言で送金用のQRコードを差し出した。
ある夜、私が突然高熱を出し、夫が慌てて病院へ車を走らせていた時のこと。
また彼のスマホが鳴った。
画面に表示された女の名前を見て、彼は何度もためらった末に電話に出た。
スピーカーの向こうから、か細い泣き声が聞こえる。
「理人さん、雷が怖くて眠れないの。そばに来てくれない?」
私は慣れた手つきで傘を取り出し、次の交差点で降ろしてほしいと告げた。
何か言いたげな夫に、私はただ微笑んだ。
「お金、忘れずに送ってね」
娘の定期健診の日。
またあの女から電話がかかってきた。
「理人さん、陽太が遊園地に行きたいって。やっぱり絶叫系って男の人が一緒じゃないと……」
電話を切った理人は振り返り、しゃがんで娘に話しかけようとした。
すると娘――結城碧(ゆうき あおい)は、私の真似をして小さな手を差し出した。
「大丈夫だよ、パパ。お金を送ってくれればいいから。今日は三倍だよ」
その瞬間、結城理人(ゆうき まさと)の顔から申し訳なさがすっと消えた。
彼は立ち上がり、碧を指差して私を問い詰めた。
「早苗、お前は普段からこんなふうに子どもを教育してるのか」
私は静かに碧を背中へかばう。
「何も間違ってないわ。愛をもらえないなら、せめてお金くらいはもらわなきゃ。私みたいに、離婚してからようやくそのことに気づくより、ずっといいでしょう」
理人は言葉を失った。
重苦しい沈黙の中、再びスマホが鳴る。
川澄真穂(かわすみ まほ)の息子の声が漏れ聞こえた。
「理人さん、早く来てよ!メガコースター百回乗るって約束したじゃん!」
その言葉に、碧は私の服の裾をぎゅっと握り込んだ。
以前、碧が何度も「遊園地に連れて行って」と頼んでも、理人は「仕事が忙しい」の一言で断り続けていた。
その小さな仕草に気づいたのか、理人は珍しくすぐには返事をしなかった。
彼は手を伸ばし、娘の頭を撫でようとする。
「碧ちゃん、いい子だから、今日は先にママと病院へ行っておいで。病気が治ったら、パパが遊園地に連れて行ってあげるから、ね?」
碧はその手を避け、大きな目をぱちぱちさせながら繰り返した。
「大丈夫だよ、パパ。お金をくれればそれでいいから」
まさかそんな返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
理人の表情はみるみる険しくなった。
立ち去る直前、彼は苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「早苗、お前も娘も、好きなだけ意地を張っていればいい!
まったく、わけがわからない!」
玄関のドアが乱暴に閉まり、私の胸もびくりと震えた。
碧は私の腕を揺さぶり、背伸びしてスマートウォッチを見せる。
「ママ見て。パパ、いっぱいお金送ってくれたよ。このお金で私、手術できるかな?」
私はしゃがみ込み、込み上げる嗚咽を必死に飲み込みながら娘を抱きしめた。
「できるわよ。碧ちゃんの手術が終わったら、ママがここから連れ出してあげるからね」
気持ちをどうにか落ち着けてから、私は碧を連れて病院へ向かった。
検査を待つ間、スマホに通知が次々と表示される。
パパラッチが隠し撮りした、理人と真穂親子の遊園地写真だった。
見出しにはこうある。
【結城家の御曹司、新恋人と遊園地デート。同行の男児はすでに『パパ』と呼んでいる模様】
私は写真を拡大し、理人の屈託のない笑顔を見つめた。
彼が最後に私と娘の前でこんなふうに笑ったのは、いつだっただろう。
もう思い出せない。
震える指で戻るボタンを押し、SNSを更新すると、その投稿はすでに削除されていた。
直後、理人から電話がかかってくる。
「早苗、怒らないでくれ。あれは悪質なメディアが勝手に書いただけだ。金を使って記事は全部消させたから」
私は一瞬きょとんとしてから、ようやく気づいた。
彼は、川澄陽太(かわすみ ようた)に「パパ」と呼ばれていた件を弁解しているのだ。
「怒ってないわ。子どもが悪気なく言っただけでしょ。私はもうあなたを真穂さんにレンタルしたんだから、ちゃんと遊んであげて」
返事を待たず、私は電話を切った。
検査結果が出て、医師は病状がしっかりコントロールできていると言った。
来月には心臓のバイパス手術を受けられるらしい。
全身の力が抜け、私はその場に崩れ落ちそうになった。
以前、真穂親子が図々しく私たちの生活に入り込み、それが原因で理人と離婚した時。
彼は私に思い知らせるつもりで、大金を積んで一流の弁護士を雇い、私をほとんど無一文で追い出したのだ。
離婚の翌日、娘は学校で突然倒れた。
診断は心筋虚血。
いつ突然死してもおかしくない危険な状態だった。
請求書に並ぶ途方もない金額を見て、私は悲しむ暇もなく履歴書を送り続けた。
けれど理人の影響力のせいで、私を雇う会社は一社もなかった。
金を貸してくれる親戚も友人も、一人としていなかった。
日に日に悪化する娘を前に、私はとうとう理人に頭を下げて復縁を懇願するしかなかった。
そして今日。
娘はようやく危険な状態を脱した。
医師と手術日を決めた後、私はすぐ移住手続きの代行会社に連絡し、私と娘のビザ申請を済ませた。
その直後、理人からメッセージが届く。
【いつ帰ってくる?お前たちの好きな料理を作ったよ】
私は返信しなかった。
一時間後。
玄関のドアを開けると、そこには真穂親子におかずを取り分けている理人の姿があった。