もう振り返らない第3話
第3話は約1,706文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
もしかしたら、遥への罪悪感からかもしれない。怜司は秘書に頼んでリュミエールのファッションショーの招待状を届けさせた。
リュミエールコレのショーを観に行くのは、毎年、遥と怜司にとって欠かせない恒例行事だ。
一緒に届いたのは、真紅のベルベットドレスと、カルティエのジュエリー。
ぼんやりしている遥の背後から、怜司が優しく抱きしめてくる。
「遥、まだ俺のこと怒ってる?」
遥は震える声で「そんなことない」と返し、目が赤くなった。
怜司はそっと耳たぶにキスをして、「やっぱり遥は、俺のことを本気で怒ったりしないんだな。沙羅が子どもを産めば、全部元通りになる」
遥は心の中で問いかける。本当に、元に戻れるの?
沙羅という存在が、もう二人の間に大きな壁を作っている。それを乗り越えることなんて、できるはずがない。
怜司の息が耳元でどんどん荒くなる。片手で沙羅の腰をつかみ、ぐっと引き寄せた。
彼が、かつて沙羅にも同じことをしていたと想像した瞬間、遥の口の中に苦い感情が広がる。
そっと身体をすり抜ける。「今夜のフライトだから、荷物をまとめてくる」
怜司は少し物足りなさそうにしながらも、無理に引き止めようとはしない。
ふと、さっき見た何もなくなった壁アルバムを思い出し、怜司は何気なく尋ねる。
「遥、あの写真たち、どうしたの?」
遥のまつ毛が一瞬震える。「全部、古くなったから。また新しい写真を飾るつもり」
怜司は少しも疑う様子はない。「そうか。じゃあリュミエールでいっぱい撮ろうな」
深夜、怜司の車が別荘の前に停まる。
運転手が遥のスーツケースを持ち上げながら、どこか気まずそうな目をしている。
嫌な予感が胸をよぎる。
予感は当たる。助手席のドアが開くと、そこには沙羅が座っていた。
沙羅はリネンのマタニティウェアを着て、頬の赤みが素朴さを際立たせている。
落ち着かない様子で手をもみながら、どこか媚びるような口調で話しかけてくる。
「遥さん、ごめんなさい。私がどうしても一緒に行きたくて怜司さんを困らせたの。怜司さんは悪くないから……」
沙羅が口を開く前に、怜司があわてて彼女を背中にかばった。
「俺が心配で沙羅を国内に残せなかったんだよ。それに、沙羅も『二人の時間を邪魔したら嫌われるかも』って気にしてた」
遥は無理やり口元を持ち上げて笑う。怜司が誰かを庇うこの仕草、かつて、遥が家族に責められていた頃と同じだ。
二人はまるで、遥が恐ろしい悪役か何かみたいな空気を作っていく。
怜司の想定と違い、遥は「別にいいよ」とだけ言い、黙って後部座席に座る。
その態度に怜司は戸惑いを隠せない。
彼はルームミラー越しに遥の様子をうかがうが、遥は静かすぎるほど静かで、逆に不安になる。
沙羅がそっと怜司の袖を引っ張る。「怜司さん……喉が渇いちゃって」
怜司は眉をひそめる。「水なら右側の引き出しにあるだろ」
沙羅は一瞬きょとんとする。
沙羅が妊娠してから、怜司は何もかも自分で世話をし、細かいところまで気を配っている。
リュミエール行きが決まったと知ったとき、沙羅は朝から「お腹が痛い」と怜司に訴えていた。
怜司はその度に予定をキャンセルしかける。
そんな怜司に、沙羅は「私は大丈夫だから、遥さんと二人で行ってきて」と控えめに譲るフリをした。
怜司が納得するはずもない。
「沙羅、いっそ一緒に行こう。俺もそっちの方が安心だから」
そう言われて、沙羅はしぶしぶ同意した。
遥は驚くほどすんなり沙羅の同行を受け入れた。
最初はそれがうれしかった。でも今、怜司の表情を見ると、まだ遥のことが気になるんだと気づいてしまう。
沙羅は内心、苛立ちを覚えながらも、平然を装う。
彼女は大きなお腹をわざと強調しながら、水を探すふりをする。額にはうっすらと汗が滲む。
怜司の注意はすぐ沙羅に戻り、慌てて彼女を座り直させる。
「妊婦なんだから、車が走ってる間はじっとしてろ」
そう言って、シートベルトを丁寧に締め、具合が悪くないか確かめてやる。
沙羅はその隙に怜司の頬にキスをする。「ありがとう、怜司さん」
怜司の体が一瞬こわばる。視線の端で後部座席の遥をちらりと見る。
彼女が窓の外を見ていて何も気づいていないのを確認して、ようやくほっと息をつく。