十年も婚約していた彼に黙って、私は別の人と政略結婚した第1話
第1話は約2,258文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
私は政略結婚することになった。
だけど、もう十年も婚約している御曹司の婚約者は、そのことをまだ知らない。
なぜなら、彼の家に新しくやってきた専属メイドが、ずっと彼のそばを離れないからだ。
二人は朝から晩まで話し込んでいて、もう同じベッドで寝ていないのが不思議なくらい。
彼女を喜ばせるために、彼は新しいヨットを買って、オーロラを見るために北極まで連れて行った。
私とウェディングドレスを選びに行く約束なんて、すっかり忘れてしまっている。
私は一日中、ウェディングサロンで彼を待ち続けた。
そして、とうとう父に電話をかけた。
「お父さん、政略結婚の相手、別の人に変えて」
* * *
私は政略結婚することになった。
だけど、もう十年も婚約している御曹司の婚約者は、そのことをまだ知らない。
なぜなら、彼の家に新しくやってきた専属メイドが、ずっと彼のそばを離れないからだ。
二人は朝から晩まで話し込んでいて、もう同じベッドで寝ていないのが不思議なくらい。
彼女を喜ばせるために、彼は新しいヨットを買って、オーロラを見るために北極まで連れて行った。
私とウェディングドレスを選びに行く約束なんて、すっかり忘れてしまっている。
私は一日中、ウェディングサロンで彼を待ち続けた。
そして、とうとう父に電話をかけた。
「お父さん、政略結婚の相手、別の人に変えて」
ウェディングサロンからの帰り道、父が怒涛の勢いで二十人以上もの縁談候補者のプロフィールを送りつけてきた。
大人の色気漂うイケメンから、ピュアな年下男子まで、全員が千億単位の資産を持つ御曹司。選り取り見取り、私の好きにしていいらしい。
父はぷんぷん怒りながらこう言った。
「最初から成瀬って奴はロクな男じゃないって思ってたんだ。お前たちが十八歳で婚約したとき、絶対に幸せにするって言ってたくせに、十年も引き伸ばして結婚しないなんて!でもまぁ、清奈(せいな)がようやく奴の本性に気づいてくれて、お父さんは嬉しいぞ!
いいか、すぐ帰ってこい。お父さんがちゃんとした相手を選んでやる。気に入ったのを選べばいい!」
婚約者の黒川成瀬(くろかわなるせ)が私を愛していないことなんて、みんなとうの昔に気づいていたんだ。
なのに私は、昔の幸せな思い出にばかり縋って、成瀬が他の誰かを愛するなんて絶対にないと思い込んでいた。
「お父さんが選んでくれた人なら、誰でもいいよ。彼以外なら、誰とでも政略結婚するから」
ふいに隣に成瀬が現れて、私の言葉を聞き漏らさなかった。
「俺以外とって、どういう意味だ」
彼は私の肩を掴んで問い詰めようとしたそのとき、キッチンから、短く尖った悲鳴が響いた。
メイド服姿の少女が手を押さえて涙ぐみながら出てくる。
「ご主人様……すみません、リンゴを剥こうとしたら、ナイフで指を切っちゃいました……私、ドジすぎて、ご主人様の専属メイド失格です……」
成瀬は一瞬で私を忘れ、慌てて駆け寄り、彼女をお姫様抱っこした。
「薫、大丈夫だ、怖がるな。すぐに家庭医を呼ぶから!
安心しろ、俺の専属メイドは、ずっとお前だけだよ」
彼は優しい声で彼女をなだめて、十年も一緒にいた婚約者の私の存在なんて、まるで見えていない。
そのメイドの小さな傷なんて、絆創膏一枚で十分なのに。
彼が迷いなく彼女の元へ走っていく背中を見て、私は、何も言葉が出なかった。
成瀬がいなくなったあと、私は親友にビデオ通話をかけて、別れを告げた。
十年前、成瀬との秘密の婚約のために、留学と嘘をついて家を飛び出して、そこで出会ったのが彼女だった。
親友は、私に婚約者がいて、彼のためなら大事な授業も試験もサボるくらい愛していることを知っていた。
成瀬の家に正式に同居し始めたとき、「次はもう結婚だね!」なんて茶化されて、まさか、そのまま十年も経つとは思いもしなかった。
「えっ、結婚?成瀬と?ようやく式を挙げる気になったの?おめでとう!ずっと楽しみにしてたんでしょ!
結婚したらスペイランドに住むって言ってたじゃん。クリスマスに会いに行くからね!」
私は首を横に振って答えた。
「彼とじゃないよ。お父さんに新しい人を紹介してもらうの」
親友は困惑して、目を丸くした。
「えっ、ずっと成瀬一筋だったじゃない!なんで急に変わったの?まさかまた彼に何かされたの?あの人、本当は不器用なだけなんだよ。私が説教して謝らせてやる!」
私は疲れた声で呟いた。
「どんなに好きだった人でも、変わるときは変わるよ。十年経っても何も変わらないのは、私が一人で頑張ってただけだった。もう、疲れちゃった。
きっと私たちは間違ってたんだよ。成瀬が本当に誰かを愛していたら、言葉じゃなくても、行動で示すはずなんだ」
私は、彼がオーロラを見に行くと言って私をウェディングサロンに置き去りにしたこと、そしてさっきの出来事を話した。
特に成瀬がメイドの小さな傷に目を向けたとき、その視線がどれほど緊張していたかを見て、親友も言葉を失った。
愛してるか、愛してないか――本当は、とっくに答えは出ていたんだ。親友ももう、私を引き止める言葉を持たなくなった。
通話を切ったあと、私はすぐに荷物をまとめ始めた。
成瀬からもらった高価なプレゼントは、全部売って寄付することにした。
自分じゃ持ち出せないブランドバッグやジュエリー、オートクチュールの服は、写真を撮って親友に送り、「欲しいものがあったらあげるよ」と伝えた。
半日かけてようやく荷造りを終えたころ、成瀬が、また現れた。
その後ろには、勝ち誇った顔のメイド・吉田薫(よしだかおる)がぴったりとくっついていた。