君を待つ理由を、雪に捨てた夜第3話
第3話は約2,473文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
しばらくして、パジャマを持ってきてほしいとバスルームから声がした。
俺が適当なものを1着手に取り、ドアを開けて入ると、柚葉は慌てた様子でスマホの画面を伏せた。
水滴の滴る顔で、取り繕うように微笑みかけてくる。
「ありがとう」
バタンと、無情にもドアが閉ざされる。
俺は動く気にもなれず、その場に立ち尽くしていた。
数秒も経たないうちに、中から再び会話の声が漏れ聞こえてきた。
翔太がガハハと下品に大笑いしている。
「なんか俺たちが浮気してるみたいにコソコソすんなよ」
柚葉は少し気怠げに答えた。
「自分の親友の性格、知ってるでしょ?湊なら、すぐ根に持つんだから」
翔太は鼻を鳴らし、下心丸出しのねっとりとした声を出した。
「早く腹筋見せてくれよ。女子のシックスパックなんてマジで見たことないって!」
柚葉はわざとらしく照れたように返す。
「もう、変態!」
……
その先のやり取りを聞く気にはなれなかった。
結局、柚葉が部屋に戻ってきたのは、それから1時間も経ってからのことだ。
彼女の頬は不自然に上気し、瞳はギラギラと変な熱を帯びて潤んでいる。
誰の目にも明らかなくらい、性的なスイッチが入っていることが窺えた。
部屋の電気を消す間もなく、柚葉はベッドにいた俺にのしかかってきた。鼻にかかった甘い声を出して、強引に唇を押し当ててこようとする。
俺は冷めた目で彼女の肩を押し返し、淡々と言い放った。
「家にゴムがない」
柚葉はハッとした顔をして、思わずこんな言葉を口走った。
「翔太が、今日は安全日だから平気だって……」
俺は鋭い視線を彼女に突き刺した。込み上げる嫌悪感を隠す気すら起きなかった。
「俺たちのベッド事情まで、あいつに筒抜けなのか?」
「違うの!」
柚葉は血相を変えて否定し、焦ったように自分の髪を掻きむしった。
俺の冷ややかな視線を受けて、これ以上の言い逃れは無理だと悟ったのだろう。彼女は不自然に視線を泳がせながら呟いた。
「彼、部外者じゃないし……」
俺は彼女の顔をまじまじと見つめた。その声、表情、仕草のすべてが、全身全霊で翔太を庇っているようにしか見えない。
むしろ、俺自身こそが彼らの間に入り込んだ「部外者」なのではないかという錯覚すら覚えた。
ここに至って、もはや彼女と同じベッドで一晩を過ごすことすら生理的な嫌悪感を催した。
「悪いが、ゲストルームで寝てくれ」
柚葉は絶句し、信じられないものを見るような目を向けた。
「たったこれだけのことで?私がわざわざ遠くから会いに来たのに、ゲストルームで寝ろって言うの?」
「じゃあ聞くが、君は俺とヤるためだけにここへ来たのか?」
柚葉は黙り込み、キッと俺を睨みつけた。プライドを傷つけられて怒っているのは明らかだった。
別れを告げるには、ちょうどいい潮時だ。そう思って口を開きかけたが、俺が言葉を発するよりも早く、彼女はバンと乱暴にドアを叩きつけて寝室を出て行った。
俺は静かにため息をつき、電気を消して眠りについた。
恋が死んだせいか、その夜の眠りはひどく穏やかなものだった。翌朝、まどろみの中でスマホを確認すると、すでに篠原社長から航空券の手配完了のメッセージが届いていた。
【明日の昼の便だ。遅れるなよ】
俺は【承知いたしました】とだけ簡潔に返し、身支度しようとした。だが、バスルームのドアを開けた瞬間、中から突然驚く男の声が上がった。
俺が一瞬呆気にとられ、ドアを閉め直そうとした時、背後から割り込んできた人影が俺を追い越し、ピシャリとドアを閉め切った。
「入る時くらいノックしなさいよ!」柚葉の刺々しい声が飛んでくる。
その瞬間、俺は本気で自分がこの家の不法侵入者か何かなのではないかと錯覚した。
「なんでこいつがここにいるんだ?」
柚葉は、全く悪びれる様子もなく言い放った。
「彼があなたに会いたいって言うから呼んだのよ」
俺がこのマンションに越してからの2年間、あいつは一度たりとも顔を出したことなどなかった。柚葉が来た途端に、急に俺の顔が見たくなったとでも言うのか。白々しいにも程がある。
俺は沈黙を貫いた。バスルームから出てきた翔太はヘラヘラと笑いながら俺に軽く挨拶をしてきた。
そしてそのまま、我が物顔でダイニングの椅子に腰を下ろした。
柚葉は手際よく朝食を作り、まずあいつの前に目玉焼きを置いた。
翔太はそれを1口食べるなり、大げさに目を輝かせた。
「やっぱお前は最高だな!俺の好みに合わせてわざわざ半熟にしてくれたんだろ」
柚葉は得意げに笑い、あからさまに機嫌を良くしていた。続けて、彼女はもう一つの皿をついでとばかりに俺の前に滑らせる。
「ひいきしてるなんて言わないでよ。あなたにもちゃんと作ってあげたんだから」
だが、俺はフォークを握ったまま、どうしても食べる気になれなかった。
なぜなら、俺は半熟の目玉焼きが大の苦手で、一切口にしないからだ。
付き合って丸6年にもなるというのに、彼女は俺のそんな些細な好みすら記憶の片隅にも置いていなかったらしい。
「柚葉、後でゲームのランク上げ、手伝ってくれよ!」
翔太はテーブルの下で足を伸ばし、軽く彼女の脚を蹴った。
「あんた下手くそだから嫌よ」
「俺たち親友だろ?これくらい手伝ってくれてもいいじゃん」
翔太はわざとらしく拗ねたような声を出し、柚葉のすぐ隣の椅子に移動して座り直した。
2人の太ももがぴったりと密着している。
翔太はなぜか上半身裸のままで、鍛え上げられたシックスパックの腹筋をこれ見よがしにひけらかしていた。
彼は柚葉の顔がほんのり赤らんでいるのを見ると、突然ニヤリと笑い、彼女の手を無理やり引っ張って自分の腹筋に押し当てた。
「タダ飯は食わねえ主義なんだわ。ほら、恩返しとして好きなだけ触らせてやるよ」
柚葉の顔は一瞬で真っ赤になり、チラッとこちらの顔色を窺ってから、慌てて手を引っ込めた。
吐き気が喉元までこみ上げてきた。カチャッと冷たい音を立てて、俺はフォークを皿の上に置く。
俺はゆっくりと首を巡らせ、朝っぱらから発情してイチャつく翔太に向かって言い放った。
「前にも言ったはずだよな?俺たちはもう、友達でもなんでもないって」