夫が初恋と結婚し、攻略に失敗した私は彼を忘れた第1話
第1話は約1,643文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
蒔田秀夫(まきた ひでお)を攻略して六年目。
彼は私と離婚すると言い出し、がんを患った初恋相手と、人生の最後の時間を共に過ごすつもりだと言った。
私は同意しなかった。離婚するなら、私は彼を完全に忘れる、と告げた。
すると秀夫は、離婚届を無言で突きつけ、露骨な嫌悪を浮かべて言った。
「もうすぐ死ぬ人間なんだぞ。そんなに自己中心的になるなよ。嘘ばっかり並べて」
――その後、彼の初恋相手は誤診だったと判明する。けれど私は、どうしても彼のことを思い出せなくなっていた。
* * *
蒔田秀夫(まきた ひでお)を攻略して六年目。
彼は私と離婚すると言い出し、がんを患った初恋相手と、人生の最後の時間を共に過ごすつもりだと言った。
私は同意しなかった。離婚するなら、私は彼を完全に忘れる、と告げた。
すると秀夫は、離婚届を無言で突きつけ、露骨な嫌悪を浮かべて言った。
「もうすぐ死ぬ人間なんだぞ。そんなに自己中心的になるなよ。嘘ばっかり並べて」
――その後、彼の初恋相手は誤診だったと判明する。けれど私は、どうしても彼のことを思い出せなくなっていた。
……
結婚記念日当日。夫の秀夫が私に用意した「プレゼント」は、離婚だった。
「時間あるときでいいから、離婚の手続き、済ませよう。
依子は胃がんの末期だ。もう時間がない。俺は、彼女のそばにいなきゃいけない」
テーブルの上には、すっかり冷めた料理。心を込めて準備したキャンドルディナーは、この瞬間、ただの笑い話になった。
正直、こうなることは予想していた。彼の心が離れている兆しは、ずっと前からあった。
彼の初恋相手の田中依子(たなか よりこ)が帰国してから、彼は帰宅が遅くなり、出張も増えた。
私たちの会話は減り、私は関係を取り戻そうと、彼が興味を持ちそうな話題を探した。
けれど彼は、いつも苛立った様子で話を遮り、私を煩わしそうに扱った。
そして迎えた、今日という結婚記念日。少しでも彼を喜ばせたくて、私は準備を重ねた。
だが、食事に手をつける前に、帰宅した彼は迷いなく離婚を切り出した。
――わかっている。彼の心は、もう私のものではない。
拳を握り、何度か深呼吸をしてから、ようやく言葉を絞り出す。
「秀夫。離婚したら、私はあなたを忘れる」
それは、システムが最初から定めた初期設定。誰にも変えられない。
その言葉を聞いた瞬間、彼の表情が一変した。穏やかだった顔つきが、一気に冷え切る。
「朱宮光悦(あけみや みつえ)、いい加減にしろ!
俺を馬鹿にしてるのか?離婚したら記憶喪失?どうせなら、死ぬって言えばいいだろ」
口を開こうとした、その時。彼は疲れ切ったように目を閉じた。
「もう、限界なんだ。感情のない相手と、これ以上一緒にいるつもりはない」
――結婚して、これだけの年月を重ねてきたのに。彼は、私に「何の感情もない」と言った。
理解できなかった。
胸の奥が底へ沈む。
「感情がないなら、どうして私と結婚したの?」
彼は顔を上げ、呆然とした私の視線を受け止める。その瞳には、一瞬の動揺と混乱が滲んでいた。
答えを待つ間もなく、彼のスマホが鳴る。相手は、依子だった。
彼の目は、驚くほど優しく変わる。少し離れた場所で、低い声でなだめるように話し、やがて鞄を手に立ち上がった。
「今日は結婚記念日よ。どこへ行くの?」
諦めきれず、私は彼の前に立ちはだかる。彼は焦って私を押しのけようとするが、びくともしない。
――パァン。
乾いた音と共に、頬が焼けるように痛んだ。逆上した彼は、私を平手で打った。
「聞いてたんだろ。今さら何を装ってる。依子のところに行くんだ。具合が悪い。俺がそばにいなきゃいけない。
さっさと、どけ」
彼の視線は、まるで仇を見るようだった。それでも私が動かないと、彼はテーブルの上のステーキナイフを取り、自分の首元に当てた。
「光悦。これ以上邪魔するなら、ここで死ぬ」
そこまで追い詰められた彼を見て、全身に深い無力感が広がる。結局、私は彼が傷つくのを見捨てられず、身体を横にずらし、道を空けた。
彼は、そのまま家を出て行った。