夫が障害者のふりをして家計を逃れようとしたので、本物の障害者にしてやった第1話
第1話は約1,572文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
夫の佐藤健二は私の母に薬を届ける途中で事故に遭い、体が不自由になった。
夫の治療費を工面するため、私は持参金の家と車を売り払い、一日三つの仕事を掛け持ちして、睡眠時間はわずか六時間という過酷な生活を送っていた。
それから十年後、私は初期の癌と診断された。
そんな時、体の不自由なはずの夫が突然立ち上がり、私との離婚を切り出した。
私が血の滲むような思いで貯めた金で豪邸を買い、若い愛人と再婚したのだ。
私は治療費が払えず、初期だった癌は末期まで進行し、苦しみながら命を落とした。
目を覚ますと、夫が退院する日に戻っていた。今度こそ、偽りの障害を本物にしてやる!
* * *
「由美、健二はもう歩けなくなってしまったのよ。このまま若い人生を棒に振るのはもったいないわ。離婚を考えてみたら?」
目を開けた時、義母は台所で料理を作り終えたところだった。
鏡に映る若かりし日の自分の姿、お気に入りの花柄のワンピース姿を見て、私は確かに過去に戻ってきたのだと実感した。
前世では、母のために高価な漢方薬を買い、急な出張で健二に届けてもらった。
その帰り道で事故に遭い、下半身が動かなくなったと聞かされた。
診断書を見た時は、この先どうなるのかと途方に暮れた。
義父は涙を流し、夫の佐藤健二は暗い表情を浮かべていた。
ただ義母だけは私との離婚を勧めてきた。
まだ若いのだから、寝たきりの夫の介護に人生を費やすべきではないと。
義母も波乱の人生を送ってきた。
義父は健二が二歳の時に聴覚を失い、それ以来働けなくなった。義母は一人で家計を支えてきたのだ。
前世では、義母のその言葉に胸を打たれ、涙ながらに決して離婚しないと誓った。
そして私たちの生活は一変した。
義父が家で健二の世話をして毎日リハビリに付き添い、私と義母は遠方で働いて生活費を稼ぐ日々が始まった。
健二の手術費用と、その後毎月かかる三十万円のリハビリ代を工面するため、私は実家からもらった家と車を売り払い、安定していた会社を辞めた。
義母と一緒に、給料は良いものの社会保険のない】工場で働き始めたのだ。
私と義母は一日三つの仕事を掛け持ちした。
朝は牛乳配達、昼間は工場で十二時間の重労働、夜は宅配便のバイト。
古びた六畳一間のアパートで暮らし、肉も果物も贅沢過ぎて手が出せなかった。
百円のパンに五十円の素麺、百円の漬物だけが私たちの一ヶ月の食事だった。
そんな過酷な生活に耐え切れず、義母は数年後に息を引き取った。
私も健二が体が不自由になってから十年後に乳がんが見つかった。
幸い初期だったが、もう治療する気力さえ残っていなかった。
最期に一度だけ健二の顔を見たくて家に戻った時、目を疑うような光景が広がっていた。
健二が若い女と楽しげにダンスを踊り、義父はカラオケマイクを片手に上機嫌で歌っていた。
その瞬間、全ての謎が解けた。健二の体の不自由も、義父の聴覚障害も、全てが芝居だったのだ。
血の滲むような思いで貯めた金を返すよう懇願したが、健二は逆に離婚を切り出し、財産は既に愛人名義に移されていた。
離婚後、私の手元には何一つ残らなかった。
治療費も払えず、乳がんは末期まで進行し、痛み止めすら買えないまま、この世を去った。
そんな前世の記憶が蘇り、思わず義母を強く抱きしめる。
「お母さん、生きていてくれて本当に良かった」
義母は突然の抱擁に戸惑った。
「どうしたの、急に変なこと言って」
こんなに優しい義母が、夫に人生を騙され続けていたなんてさせるわけにはいかない。
それどころか義父は実の息子まで加担させて私たちを欺いていた。
病院への付き添いは全て義父の役目だったから、まさか親子で芝居を打っているなど、思いもよらなかった。
人生をやり直すチャンスを天が与えてくれたのだから、今度は無駄にはしない。
佐藤健二がそれほど体の不自由な人間になりたがるなら、望み通りにしてやろう。