章へスキップ

弟のメスで死んだ日第1話

第1話は約1,974文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。

院長でもある母さんは、研修医になったばかりの弟・久遠修斗(くおん しゅうと)に少しでも場数を踏ませたい一心で、勝手に俺・久遠蒼一(くおん そういち)の脳腫瘍の手術を任せてしまった。

俺は「これが本当に最後のチャンスなんだ、執刀医を替えてくれ」と母さんにすがって頼んだ。

なのに母さんは俺の頬を平手打ちし、「どうしてあんたみたいな自己中の出来損ないを産んじゃったんだろうね。弟はやっと研修に入ったばかりなのに、少し腕を磨かせてやるくらいで死ぬわけないでしょ!」と怒鳴りつけた。

やがて手術は失敗に終わり、俺はそのまま息を引き取った。母さんは、その夜のうちに髪が真っ白になるほど一気に老け込んだ。

* * *

院長でもある母さんは、研修医になったばかりの弟・久遠修斗(くおん しゅうと)に少しでも場数を踏ませたい一心で、勝手に俺・久遠蒼一(くおん そういち)の脳腫瘍の手術を任せてしまった。

俺は死んだ。弟のメスの下で。だが予想外だったのは、死んだあと、俺の魂は母さんのそばへ引き戻された。

そのとき母さんは、修斗を必死になだめていた。「大丈夫よ、修斗。蒼一はしぶといんだから、そう簡単に倒れたりしないわ。まずは家に帰って、ゆっくり休みなさい」

母さんが修斗のほうを見るその目には、溢れんばかりの愛おしさと痛ましさが宿っていた。生きていた頃、一度も向けられたことのない優しさだった。

ここ何年も、母さんが俺に向けるのはいつだってうんざりしたような態度で、口を開けば苛立ちがにじんでいた。

普段の俺は何でもないふりをして、へらへら笑ってごまかしていたけれど、本当は何も気にしていなかったわけじゃない。ただ、弱いところを誰にも見せたくなかっただけだ。

もう死んでしまった今になって、胸の底に溜め込んできた苦さが、抑えきれなくなってあふれ出す。

家に戻った途端、母さんのスマホがけたたましく鳴り出した。

電話口で病院の医者が、俺がもう亡くなったと告げると、母さんは食い気味に言い返した。

「ありえないわ!あの子の病気なんて、大したことないでしょ?腕のいい先生がいくらでもいる病院で助けられないはずがないじゃない。

どうせ修斗に手術なんてさせるから拗ねて、あんたたちと組んで私を脅かそうとしてるんでしょ。そんな安っぽい芝居、私が騙されると思わないで!」

電話を切ったあとも、母さんは最後まで全部俺の我がままだと信じて疑わない様子で、むしろ自分を責めるように顔を歪めた。

「修斗、ごめんね。全部お母さんが悪いわ。怖い思いさせちゃって。蒼一が帰ってきたら、お母さんがきつく叱ってやるからね」

言い終えたそのとたん、また母さんのスマホが鳴った。

さっきまで優しい声を出していた母さんは、画面を一瞥すると眉間にしわを寄せ、露骨にうんざりした口調になった。「さっきはっきり言ったでしょ。蒼一に伝えて。死にたいならさっさと一人で死ねって。いちいち何度も私を巻き込まないでって!」

しばらく沈黙が続いたあと、電話の向こうの声が慎重に名乗った。「久遠さんですね。私どもは警察です。久遠修斗さんが医療事故に関与している可能性がありまして、ご本人と連絡がつかないため、少しお話をうかがいたいのですが」

母さんはそこでとうとう堪忍袋の緒を切らした。「さっきから医者だの警察だのって、今度は何なのよ。あんたが誰だか知らないけど、でたらめ言うのはやめてちょうだい。いい加減なこと言ってたら、ただじゃ済まないわよ!」

相手はあわてて言い返す。「久遠さん、なにか誤解があるのかもしれませんが、私たちも法律に則って捜査を――」

母さんは、そばで怯えきった顔をしている修斗を一瞥し、露骨にうんざりした声で怒鳴った。「もういい!蒼一に伝えて。いい加減、こんなくだらない騒ぎはやめなさいって!修斗がどれだけビクビクしてるか分かってるの!」

言いたいことだけ言うと、母さんはまた一方的に通話を切った。

俺が倒れて入院してからというもの、母さんはずっと機嫌が悪かった。こんな程度でわざわざ病院にいる必要なんてないと決めつけて、俺が構ってほしくて騒いでいるだけだと思っていた。

その横で修斗が涙を浮かべ、いかにも心細そうに母さんを見上げる。「僕、怖いよ、お母さん。兄貴に本当に何かあったら、どうしたらいいの?」

母さんの目は冷え切っていた。「あの子は最初から私に見せつけたくて大げさにやってるだけよ。それに、途中でちゃんと病院で一番腕のいい先生にメスを渡したんだから、事故なんか起きるわけないでしょ。そんなことまでネタにして騒ぐなんて、本当に図に乗りすぎよ」

まだ死んだばかりの俺に向けられるこの冷たさを目の当たりにして、胸の奥がすうっと冷えていく。これまでどれだけ母さんの愛情を、哀れなくらいに一かけらでも求めてきたかを思い出すと、そんな自分が情けなくて、笑えてくる。

第4話は公式アプリで閲覧できます

この目録には次の本の第1章から第3章までが収録されています: 弟のメスで死んだ日。本の残りは公式アプリでお読みいただけます。

お客様のコード R24113

  1. スマートフォンに公式アプリをインストールしてください。
  2. アプリを開き、コードを入力するとこの本に移動します。
アプリで続ける

カタログの言語を選択

6言語、ひとつの総合カタログ。言語ごとに独自の請求記号と冒頭の章があります。