愛を刃に変えて、もう君を想わない第3話
第3話は約2,057文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
三日目の午後、颯真から送られてきた資料が私のメールに届いた。
私は客室の机に座り、三時間もの間、画面に並ぶ入出金履歴と借入記録を見続けていた。
ひとつひとつの金の流れが、この三年間の私の愚かさを嘲笑っているようだった。
あの日、拓海が私の目の前で差し出した銀行口座。そこに入っていた金は、その翌日には「資産運用」の名目で次々と海外口座へ移されていた。
私名義にしたと言っていた不動産も、複数の契約を巧妙に組み合わせて担保に入れられ、すでに現金化されていた。
では、その金はどこへ消えたのか。
あの女のために、都内の人気学区に高級マンションを買っていた。
それだけじゃない。今、私がいるこの家さえ、半月ほど前、危うく私の知らないところで名義変更の手続きが完了するところだった。
「美雨のためなら命さえ惜しくない」そう言っていた男にとって、私の愛も、私の財産も、すべては自分の子どもたちを養うための餌にすぎなかったのだ。
そのとき、玄関の鍵が開く音がした。
この時間、拓海は会社で会議のはずだった。
やがてドアが開き、床を叩くヒールの音が近づいてくる。入ってきたのはあの女だった。
大きなお腹を抱えながら、手にした合鍵を見せつけるように揺らしている。
「かわいそう。自分で買った家なのに、その中の客室に閉じ込められるなんて」
私の机の前まで来ると、青ざめた私の顔を眺め、満足そうに目を細めた。
私はパソコンを閉じた。
「ここは私の家よ。出ていって」
女は吹き出すように笑った。勝手に椅子を引いて座り、お腹を撫でる。
「拓海は優しいから言えないこともあるの。あなたがショックを受けると思って、黙ってるみたいだけど。いつまでも勘違いしてるのもかわいそうだから、教えてあげる」
ブランドバッグから数枚のコピー用紙を取り出し、机の上に投げる。銀行の取引明細だった。
「五年前、元旦那さんに三階から突き落とされたとき、どうして拓海が、偶然あの場所にいたと思う?」
心臓を強くつかまれたような感覚がした。私は明細に目を落とした。
日付は、私が転落したその前日。振込人は石井拓海。そして受取人は、ギャンブルに溺れていた私の元夫だった。
女の声が耳の奥で響く。
「拓海は最初から、あなたの家の資産が目当てだったの。元旦那さんに一千万円払って、お芝居をしてもらったのよ。あなたを突き落として、拓海が助ける、それだけの予定だった。
ただ、思ったより建物が低かったのと、受け止める位置を間違えたせいで、本当に背骨を痛めちゃったみたいだけど。半分命を懸けたふりをして、あなたを完全に信用させた。そうすれば、あなたのお金が手に入るものね。そのお金で、私と子どもたちを養う。
分かった?あなたは、ただのATMだったの」
胃の中がひっくり返るようだった。全身の血が、一気に頭へ逆流したような感覚に襲われる。
今まで信じていたものが、音を立てて崩れていく。
あの日の事故も、あの傷跡も、プロポーズも、全部最初から仕組まれていた。
喉の奥に鉄のような味が広がった。私は慌てて口元を押さえた。次の瞬間、鮮血を吐き出した。
血が机の上に飛び散り、取引明細を赤く染める。
「ちょっと!」
女は露骨に顔をしかめ、一歩後ずさった。鼻と口を手で覆う。
ちょうどそのとき、玄関から物音がした。忘れ物を取りに、拓海が戻ってきたのだ。
部屋へ入ってきた拓海の目に飛び込んだのは、口元を血で染め、今にも倒れそうな私だった。顔色が変わる。
こちらへ駆け寄ろうとしたその瞬間、玄関の向こうから、男の子が母親を追いかけて走ってきた。
拓海の足が止まる。そして私ではなく、男の子のほうへ振り返った。大きな手で、その子の目を覆う。
「外で遊んでろ。見るな」
その声は、不思議なくらい落ち着いていた。男の子の前に立ちはだかり、もう私のほうを見ようともしない。
「子どもにこんなもの見せるなよ」
身体の芯まで冷えていく。私は椅子を押しのけ、震える手で引き出しの一番奥を探った。
昨夜、一睡もせずに書き上げた離婚届と離婚協議書。
それをつかむと、拓海の背中へ思いきり叩きつけた。
「署名して」
もう怒鳴る力さえ残っていなかった。ただ疲れていた。
「荷物をまとめて、私の家から出ていって」
紙が床一面に散らばる。
拓海は男の子から手を離し、女に連れていくよう促した。
そして、ゆっくりとこちらを振り返った。さっきまでの優しげな表情は、跡形もなく消えていた。目に浮かんでいるのは、剥き出しの怒りだった。
足を引きずりながら近づいてくる。床に落ちた離婚協議書を拾い上げると、一枚ずつ、ゆっくりと破り始めた。
細かく裂かれた紙片が、私の吐いた血の上へ落ちていく。
拓海は突然、私の顎をつかんだ。強引に顔を上げさせる。そして、自分の脚を見るよう迫った。
低く、冷たい声が響く。
「俺を捨てるつもりか?俺はお前のために、こんな身体になったんだぞ。お前の命だって、俺が助けた。
離婚したいならしてやるよ。お前が死ぬか、俺が死ぬか、それ以外にお前が俺から離れる方法なんてない。
美雨。お前は一生、俺のそばにいるんだ」