私も昔はぶりっ子だったもん第1話
第1話は約2,403文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
私は生まれつき気が弱い。誰かに嫌なことをされても、隠れて泣くことしかできなかった。
恋人の蓮見怜介(はすみ れいすけ)は、そんな私を見ると心を痛め、相手に言い返そうとしてくれた。けれど私は、そのたびに「もういいから」と止めていた。
ところが、彼の幼なじみの折原桃香(おりはら ももか)は、こう言った。
「わかるよ、その気持ち。私も昔はぶりっ子だったもん。ちょっと涙を流せば、相手を悪者にできるんだよね。
怜介に言い寄ってた子、結構いたのに。その手で彼女の座を勝ち取ったんでしょ?」
どうしていいかわからず怜介を見た私に、彼は気にも留めない様子で笑った。
「桃香はああいう言い方をするんだ。悪気はないよ」
彼のそのひと言を後ろ盾に、桃香はあの手この手で私に嫌がらせをするようになった。
みんなで食事をしたときには、わざと私に水をかけた。居たたまれずティッシュを探していると、桃香はわざと声を張り上げた。
「怜介、見てよ。ぶりっ子な彼女ちゃん、やることが違うね。私がわざと水をかけたみたいに見せてる。あんな透ける服まで着て、みんなに自慢の体を見せたいの?」
上着を取って私にかけようとしていた怜介は、その言葉を聞いた途端、顔を険しくした。
気まずいまま食事会はお開きになり、それ以来、私はできるだけ桃香と顔を合わせないようにした。すると今度は「付き合いが悪い」と言って、友人たちを連れてうちまで来た。
食後、怜介が私の薬指にペアリングがないことに気づいた。桃香は自分のポケットから、私の指輪を取り出した。
「ちょっと、何これ。来てほしくないならそう言えばいいじゃない。私を泥棒に仕立てるつもり?
私と怜介がそういう仲なら、あなたの入る余地なんてないの。こんなことしても、むなしいだけだよ」
怜介まで、珍しく怒りをあらわにした。
「辻村紗和(つじむら さわ)、桃香に謝ってくれ」
私が仕組んだと決めつける彼を見て、胸の奥がじんとしびれた。
この人と付き合い続ける意味は、もうないのかもしれない。
* * *
泣き声にならないよう必死にこらえながら、私は口を開いた。
「リビングにカメラがあるよね。映像を見れば、私がやったかどうかわかるから」
けれど、桃香と友人たちは笑い出した。
「ぶりっ子ちゃん、まだ演技してるよ。
自分がやったってばれたら、今度は泣きながら『怜介のことが好きすぎて』って言うんでしょ。
もういいって。私、心が広いから、私がやったことにしてあげる。怜介、これからは会うのを控えようか。彼女ちゃんに、また余計な心配させちゃうし」
そう言って桃香たちが玄関へ向かうと、怜介は慌てて、靴も履き替えずに追いかけていった。
私は震える手でカメラの映像を呼び出し、桃香が私の指輪を抜き取った瞬間を見つけた。
戻ってきた怜介に、そのスクリーンショットを見せた。けれど彼は、私の手からスマホをたたき落とした。
「もういい、紗和。桃香は気にしないって言ってくれてるんだ。もう、こんな面倒は起こさないでくれないか。僕と桃香は20年以上の付き合いなんだよ。そういう小細工をする相手じゃない」
割れた画面を見下ろすと、自分の心まで、ひとかけら砕けた気がした。私はゆっくりしゃがみ、スマホを拾った。
「怜介、別れよう」
怜介は鼻で笑った。
「桃香の言うとおりだね。人に罪をなすりつけられなかったから、今度は別れ話で脅すんだ」
目の前の彼が、初めて知らない人のように思えた。
「怜介、本気で言ってるの」
彼は眉間を指で押さえた。
「紗和、これ以上ごねても仕方ないだろ。僕は疲れた。紗和も早く休んだら。今日のことは、なかったことにしてあげるから」
そう言い残し、ひとりで寝室へ入っていった。私はリビングの真ん中から動けなかった。
昔、嫌なことをされて眠れず、寝返りを打ちながら一晩中泣いていたとき、怜介はいつも根気よくそばにいて、黙って涙を拭いてくれた。同じ話を何度繰り返しても聞いてくれて、次はどう対処すればいいか、教えてくれた。小さなプレゼントや甘いものを買って、元気づけてもくれた。
それなのに。5年の付き合いは、桃香が私をおとしめるひと言にも及ばなかった。
大きく息を吸い、母にメッセージを送った。
【やっぱり、地元を離れて暮らすのはしんどい。家に帰りたいの】
夜中なのに、母からはすぐに返事が来た。
【帰っておいで。うちには何でもあるから】
何があったのかは、聞かなかった。
私は明かりをつけずに寝室へ戻り、荷物をまとめ始めた。怜介はすっかり寝入っていたが、手にはまだスマホを握っていた。
ふいに画面が光った。桃香からのメッセージだった。
【どう?機嫌直った?ぶりっ子ちゃんに、私の連絡先を削除しろとか言われてない?】
付き合い始めたその日に、怜介は自分のスマホに私の指紋を登録してくれた。けれど、彼のスマホをのぞくのはこれが初めてだった。
履歴をさかのぼる。私がリビングで気持ちを落ち着けようとしていた間、彼は桃香に私の愚痴をこぼしていた。
【……大学で知り合ったばかりの頃から、紗和はよく、同級生にいじめられたって言ってた】
桃香はこう返していた。
【私もぶりっ子してた頃、よくそうやって弱いふりしてたよ。男の人に、守ってあげたいって思わせるの】
続いて、怜介のメッセージ。
【友達に裏切られることが多かったから、桃香たちを紹介したんだ。いい友達が増えればって思ったのに、どうしてこうなるんだろう】
桃香の返信は、からかうような調子だった。
【私たちを勝手に敵だと思ってるんでしょ。仲を引き裂いちゃえば、怜介を独り占めできるもんね】
5分たってから、怜介が返した。
【紗和って、本当にそういう子なのかな】
桃香の返信は、その30分後だった。
【それ、もうあの子の思うつぼだよ。これ以上は言わない。私が悪者にされても困るし】
怜介の返事は、たったひと言。
【桃香を信じる】
スマホを元に戻すとき、指先が震えた。
彼女を信じるのなら、私が出ていけばいい。