私も昔はぶりっ子だったもん第3話
第3話は約1,621文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
部屋に戻って荷物を手にしたところで、運休を知らせるメッセージが届いた。台風の影響で、今夜乗るはずの列車が取りやめになったのだ。
明日の切符を探しながら、近くのホテルに空きがないか調べていると、怜介が帰ってきた。
家にいる私を見るなり、彼は、やっぱりねと言いたげに笑った。スーツケースを脇へ押しやり、私を抱きしめようと手を伸ばす。
「ほら、紗和。全部僕が悪かったから。もう機嫌直してくれない?」
こんな投げやりな謝り方をする人ではなかったのに……
私はその手を避けた。
「もう別れたんだから、そういうことはやめて。今ここにいるのは、台風で出発できないから。それだけ」
怜介は一瞬動きを止めたが、何も言わなかった。けれど、どこからか笑い声が聞こえた気がした。顔を見ても、彼は無表情のままだ。
私は箱を1つ、彼の前へ押し出した。
「この5年間にもらったプレゼント、全部入ってる。一緒に出かけたときの半券や、お土産も。別れたんだから、返すね」
一番上に載っていたクマのぬいぐるみが、突然床に落ちた。その手が床にぶつかった拍子に、怜介の声が流れ出す。
「ひどいやつらだ、ひどいやつらだ!みんな、僕の紗和をいじめて!」
しばらく、動けなかった。声を録音できるこのクマは、怜介から初めてもらったプレゼントだった。
私が気弱で、いつも嫌な目に遭っていると、彼が知ったばかりの頃だ。私はもめ事が怖くて、かばってもらうことさえためらっていた。怜介はあれこれ考えた末、このクマをくれたのだった。
あのとき彼は私の頬を軽くつまんで言った。
「紗和は優しすぎるんだよ。でも、少しくらい言い返す強さも必要だ。ずっとため込んでたら、体まで壊しちゃう。
人ともめたくないなら、普段は僕が守るから。それでも腹が立って仕方ないときは、このクマをぎゅっとして。代わりに僕が怒ってあげる」
まさかそのクマが、5年後の彼自身に怒ることになるなんて。
クマを見つめる怜介も黙っていた。少しは心を動かされたのだと思った。
けれど、またかすかに誰かの声がした。
「……機嫌を取りたいなら、手ぶらじゃだめってことだよ」
私は数歩近づき、怜介の右耳からワイヤレスイヤホンを外した。そこから、桃香の声が漏れてきた。
「うわ、これも見抜くんだ。ぶりっ子ちゃん、相当な上級者だね。何人の男で練習したら、そこまでできるようになるの?」
そこで初めて気がついた。怜介の胸には、小さなカメラまでついていた。
私の機嫌を取る様子まで、彼は桃香に生中継していたのだ。
ばれるとは思っていなかったのか、怜介は気まずそうな顔をした。
「桃香は、自分のせいでこうなったからって、僕を手伝おうとしてくれただけだよ。変に考えないで」
こんなときまで、彼は桃香をかばう。
「何を買ってあげたら機嫌が直るのか、はっきり言ってよ。紗和、これだけ大勢が振り回されてるんだ。僕だって疲れるよ」
突然、私のスマホから入金の通知音がした。
100万円。
怜介はスマホをしまった。
「それか、そのお金で好きなものを買えばいい。これからは桃香のことで騒がないで。子どもの頃から20年以上の付き合いなんだ。もう会わないなんて、できるわけないだろ」
画面の金額を見て、何とも皮肉なものだと思った。私は何も言わず、そのまま送り返した。
桃香が声を上げた。
「え、100万円でもだめなの?私がぶりっ子してた頃だって、そんなに貢がせたことないよ。今まで、どれだけのお金を巻き上げてきたんだろ」
もう1秒だって、ここにはいられない。台風だろうと、出ていこう。
桃香はまだ、彼をあおっていた。
「早く追いかけてあげなよ。この土砂降りだよ?ぶりっ子ちゃん、もうあんなにゆっくり歩いて待ってるじゃない。
ぐずぐずしてたら、本当にぬれちゃうよ。そのあと湯たんぽで40度の熱があるふりでもされたら、かわいそうでたまらなくなるんじゃない?」
怜介が言ったのは、ひと言だけだった。
「好きにすればいい。もう機嫌を取るのは疲れた」
私はドアを閉めた。