結婚3周年、今度は私一人でオーロラを見に行く第1話
第1話は約1,974文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
結婚3周年を翌日に控えた夜、私、松本彩香(まつもと あやか)は、夫の松本亮介(まつもと りょうすけ)から、突然アイスランド行きの航空券をキャンセルしたと告げられた。
亮介は申し訳なさそうな顔で私を見た。
「機密データが流出して、社内が大混乱なんだ。少なくとも3日は会社を離れられない」
私を納得させたかったのか、亮介の共同経営者で友人でもある黒田圭介(くろだ けいすけ)まで、グループチャットに社員たちが残業している写真を送ってきた。
【彩香さん、亮介をもう数日だけ借りるね。落ち着いたら、ちゃんと埋め合わせしてもらってください!】
しばらくすると、亮介の母からも電話がかかってきた。けれど、その口ぶりからは、私への気遣いなど少しも感じられなかった。
「仕事なんだから仕方ないでしょ。旅行に行けなくなったくらいで、いつまでも拗ねて亮介を困らせないの」
亮介は私の口座に200万円を振り込むと、そっと顔を寄せて額に口づけた。
「好きなものでも買って、気晴らししておいで。仕事が落ち着いたら、今度こそ二人でゆっくり旅行しよう」
200万円が振り込まれているのを確認し、私は黙ってうなずいた。
亮介が家を出ると、私はすぐにその200万円を彼の口座へ送り返した。それから、この3年間ずっと折半してきた生活費の明細もまとめて送った。
さっき圭介が送ってきた写真を見ると、隅に写り込んでいたカレンダーは先月のままだった。
それだけでも十分怪しかったが、決定的だったのは、ついさっき届いたクレジットカードの利用通知だった。
私は亮介の家族カードを持っていて、利用通知は私のスマホにも届くようになっていた。
通知に表示されていた利用先は、会社ではなくホテルだった。
支払われていたのは、水中が見えるスイートルーム1泊分と、2人分のディナー代だった。
* * *
200万円を返し、生活費の明細も送ってから、3分もしないうちに亮介から電話がかかってきた。
電話に出るなり、亮介はうんざりした声で言った。
「何だよ?アイスランドに行けなくなったくらいで、今までの生活費まで持ち出してくるのかよ?」
私は圭介が送ってきた写真をスマホに保存し、淡々と返した。
「気持ちとお金のことは別だって、いつも言ってたのはあなたでしょ?」
電話の向こうが一瞬静かになり、亮介はため息をついた。
「彩香、楽しみにしてたのは分かってる。悪かったよ。仕事が片づいたら、改めてアイスランドに行こう。今度は彩香の好きなだけ付き合うから。だから今だけは勘弁してくれないか?」
私は何も答えなかった。
私が何も言わずにいると、亮介は私が納得したと思ったのか、会議に戻るからと一方的に電話を切った。
電話を切った直後、クレジットカードの利用通知が2件続けて届いた。
1件はヴァンクリーフ&アーペルでの80万円の買い物。もう1件はインターコンチネンタルホテルで注文された記念ケーキの代金だった。
私はスマホを握りしめ、そのままホテルに電話をかけた。
「すみません。先ほどそちらのホテルからカードの利用通知が届いたんですが、記念ケーキの代金になっていて。主人が予約したものだと思うので、内容を確認していただけますか?」
予約者の名前を聞かれ、亮介の名前を告げると、スタッフはしばらく確認したあとで答えた。
「松本様ですね。お二人様の記念日プランでご予約を承っております。ケーキも10周年のお祝いとしてご用意しております」
亮介と出会って5年、結婚して3年。その「10周年」が私とのものではないことは、考えるまでもなかった。
「分かりました。主人がサプライズで用意したのかもしれません」
そう答えてから、私は続けた。
「もし、飾りつけが終わったときの写真があれば、1枚送っていただけませんか?どんな雰囲気になっているのか、少し見ておきたくて」
スタッフは、準備が整ったあとの写真なら送れると言った。メールアドレスを伝えると、2分もしないうちに写真が届いた。
写真には誰の顔も写っておらず、バラの花びらが散りばめられたテーブルと、ワイングラスに手を添えた女性の手元だけが写っていた。
その手首には、オーロラをイメージした銀色のブレスレットが光っていた。
私はしばらく、そのブレスレットから目を離せなかった。
1か月前、私が自分でデザイン画を描き、ジュエリーデザイナーにオーダーしたものだった。ペアで2本用意し、結婚3周年の日に亮介へ贈るつもりだった。
そのうち女性用の1本が、写真に写った女の手首に光っていた。
もう1本の男性用は、亮介の書斎にある鍵付きの引き出しにしまっておいたはずだった。
私はすぐに書斎へ向かい、引き出しを開けた。
中にあったジュエリーボックスは蓋が開いたままで、2本ともなくなっていた。
私が結婚3周年のために用意したペアブレスレットで、亮介は別の女との「10周年」を祝っていたのだ。