結婚3周年、今度は私一人でオーロラを見に行く第2話
第2話は約1,602文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
翌朝早く、私はタクシーで亮介の会社へ向かった。
会社に着いて中へ入ったが、機密データが流出したというのに、緊迫した空気はどこにもなかった。受付では社員が風船を膨らませ、会議室にはシャンパンや花が並び、どう見ても祝賀会の準備中だった。
圭介の姿も見当たらなかった。
そこへ、飾り付け用の荷物を抱えた新入社員が通りかかった。私を別部署の社員と勘違いしたらしく、気軽な調子で声をかけてきた。
「何ぼんやりしてるの?早く手伝ってよ。桐谷部長、帰国したばかりなのに、こんな大口の出資を取りつけたんだって。そのお礼も兼ねて、社長が休暇に付き合ってるらしいよ。二人、大学の頃からの知り合いなんだって。なんか、ただの仕事相手って感じじゃないよね」
私はそのままオフィスの奥へ進んだ。
廊下の突き当たりにある社内の掲示スペースには、新しい写真が貼られていた。
仕立てのいいスーツを着た亮介が、赤いドレス姿の女性と並んで壇上に立っていた。
写真の下には、「10年ぶりの再会――創業当初の夢を再び」と書かれていた。
隣に写っていた女性は、桐谷麻衣(きりたに まい)だった。
亮介から、その名前を聞いたことは一度もなかった。
私はスマホを取り出し、写真を撮った。
その直後、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。
「彩香さん?なんでここに!」
圭介が慌てて駆け寄ってきて、写真を隠すように私の前に立った。
「亮介から、今日は家で休んでるって聞いてたんだけど……会社も今、ちょっとバタバタしてるしさ」
「桐谷麻衣って誰?」
私が尋ねると、圭介は一瞬言葉に詰まった。
「……出資元の担当者だよ。彩香さん、変に勘ぐらないで。データ流出のことを社内に伏せてるのは、社員を不安にさせないためなんだ。経営陣はずっと対応に追われてる」
「技術部門の責任者すら知らないのに、機密データが流出したって言うの?」
私は昨夜、圭介がグループチャットに送ってきた写真を目の前に突き出した。
「じゃあ、私を騙すために先月の写真まで使ったの?」
圭介は顔をこわばらせ、そのまま何も言えなくなった。
そこへ、入口のドアが開いて、亮介が入ってきた。
私に気づいた亮介は、一瞬だけ表情をこわばらせた。
そして、シャツの襟元から薄い赤い痕がのぞいているのが目に入った。
圭介は亮介の姿を見るなり駆け寄り、私が亮介と麻衣の関係を疑っているのだと早口で説明した。
話を聞いた亮介は、私の手首をつかむと、そのまま社長室へ連れていった。
「彩香、ここは会社だぞ。こんなところまで来て、俺のことを探るなよ」
私は冷たく笑った。
「調べなかったら、夫が別の女と水中スイートに泊まって、二人でディナーまでしてたなんて、知らないままだったわ」
亮介は一瞬言葉に詰まった。
だがすぐに、苛立ったような口調で言い返してきた。
「黙ってたのは、こうなると思ったからだ。麻衣は出資元の担当者だよ。あの部屋だって向こうの希望で取っただけだし、俺も仕事で一緒にいただけだ。少しは分かってくれよ」
「じゃあ、私が用意したブレスレットを桐谷さんがつけてたのはどういうこと?」
私は亮介の手を振りほどいた。
亮介は一瞬目をそらしたが、すぐに何でもないような顔をした。
「あれはバッグに入れてただけだ。麻衣がたまたま見つけて、きれいだって言うから、写真を撮るときだけ貸したんだよ。それだけだ」
亮介は苛立たしげにネクタイを緩めた。
「たかがアクセサリー一つで、俺の仕事までめちゃくちゃにする気か?」
亮介にとっては、あのブレスレットもただのアクセサリーでしかなかったらしい。
もう何も言う気になれず、私は背を向けた。
そのとき、ふと亮介のデスクに目が留まった。
乱雑に積まれた書類の下から、黒地に金の模様が入ったホテルのカードキーケースがのぞいていた。
裏側には、亮介の字で短いメッセージが書かれていた。
【あのとき叶わなかった海の底の夢も、離れていた10年も、今度こそ全部埋め合わせよう】