見えぬ愛にさよなら第1話
第1話は約2,490文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
私・清原怜(きよはら れい)は目が見えない。
それなのに、親友の南井理穂(みない りほ)はいつも「怜って本当に恵まれてるよね」と言っている。
幼い頃からずっと、幼なじみの馬淵将司(まぶち しょうじ)が、忘れずに私の手を引いてくれるからだ。
将司は冗談めかしてこう言ったことがある。
「お前って本当に悪い女だな。でも、俺は一生縛られても構わない」
だから結婚式の前夜、将司が裏アカウントに投稿した動画の内容を聞いたときも、疑うことすらしなかった。
「悪い女に狂わされた。どうしよう?
結婚まで絶対に手を出さないって決めてたのに、あいつの写真を見るたびに、どうしようもなく胸が騒ぐんだ。
あいつのせいで、俺の体はおかしくなっちまった」
コメント欄では、【今すぐその悪い女のところへ行って責任を取ってもらえ】と、将司をけしかける声が相次いでいる。
スマホの読み上げ機能でそれを聞きながら、私は恥ずかしさに頬を赤らめる。
けれど、一晩中待っても、将司が私の部屋のドアを叩くことはなかった。
結婚式当日、控室で待っていた私のもとに届いたのは、理穂のSNS投稿だ。
【最後の夜。明日から、あなたは別の人のものになる】
思わず、口元が引きつる。
これが「恵まれている」ということなら、いらない。理穂も将司も、もういらない。
* * *
スマホの読み上げ機能が、無機質な声で理穂の投稿を読み終えた。続いて、写真も添付されていると告げられた。
けれど、私は何も見えない。もう、完全に視力を失っている。
だから、二人の関係を疑っても、自分の目で確かめることすらできないのだ。
夏だというのに、ウェディングドレスを着ている私は肌寒く感じてしまう。
手探りで歩きながら、理穂と将司を探す。二人を見つけて、直接問いただすつもりだ。
けれど、扉の枠に手が触れた瞬間、少し離れた場所から理穂の笑い声が聞こえてきた。
「将司、二人の誓いの言葉を見せてよ」
紙を取り上げる音がする。そして、理穂が声に出して読み始める。
「俺はこれからも君の目になる。愛している。君は俺の足枷だ」
周囲から笑い声が上がる。将司も、笑いながら言う。
「勝手に変えるなよ。怜が怒ったら、また機嫌を取らなきゃ」
すると、理穂の声がふいに低くなる。「本当に彼女と結婚するの?」
将司は少し沈黙した。
「怜は俺を助けようとして目を失ったんだ。もう10年以上ずっと一緒にいる。式の準備だって、ここまで進んでるし、俺が責任を取るしかないだろ」
長い間、何も見えない世界で生きてきたせいか、耳は人一倍鋭くなっていた。
理穂が将司の腕を引き、少し離れた場所へ連れていく気配がする。そして、泣きそうな声で言う。
「昨日のことも、ちゃんと責任を取ってくれるよね」
理穂は少し間を置いて、続けて言う。
「私、まだ痛いんだから」
やはり。昨夜、二人の間に何かあった。
スタッフに呼ばれ、そろそろ会場へ向かう時間だと告げられる。
ドレスの裾を強く握りしめ、爪が手のひらに食い込む。自分がひどく滑稽に思えた。
「責任なら、もちろん取るさ」将司が優しい声で答える。
「だって理穂は、俺の体をこんなふうにした、悪い女だからな」
理穂が甘えるように笑い、将司の胸を軽く叩く音がする。
「私が悪い女?違うわよ。将司を一生縛りつけてるのは、怜のほうじゃない」
「わかってるよ。理穂に言う『悪い女』は、愛情表現みたいなものだから」
そういうことか。将司が私に言っていた「悪い女」という言葉には心底からの嫌悪が込められていたのだ。
6歳の時、私は将司と一緒に拉致された。危険な目に遭った将司を助けようとして、私は目を傷つけられ、視力を失った。
けれど将司にとっては、私が目を失ったことなど、彼の人生を縛る鎖でしかなかったのだ。
将司と理穂が近づいてくる足音が聞こえる。将司が、ごく自然な調子で言う。
「結婚式くらい、あいつにくれてやればいい。
どうせあいつには見えないんだ。結婚したあとなら、俺も堂々とお前を大事にできる。
ほら、急ごう。そろそろ始まる」
私はとっさに扉の陰へ身を隠した。片手で口を押さえ、体の震えを必死に抑え込む。
もう片方の手は、握りしめたリングケースを何度も撫でる。
10分後。本来なら私は将司と、大勢の招待客に見守られながら、互いに永遠を誓っているはずだった。
そのために、二つの指輪を用意していた。一つは理穂に贈るためのものだ。今までずっと私を励まし、慰めてくれたことへの感謝を込めて。
もう一つは将司に贈るためのものだ。目の見えない私を受け入れてくれた彼への感謝を込めて。
二人は、私にとって何より大切な存在だった。まさか、そんな二人に裏切られるなんて。
スタッフに手を引かれながら会場へ向かう途中、近くにいた将司の友人たちの笑い混じりの声が耳に入ってくる。
「目が見えないんじゃ、何をするにも大変だろ」
「清原家の令嬢じゃなかったら、将司には釣り合わないよな」
私は何も言わず、その場に立ち尽くした。将司も、何も言わない。
以前なら、誰かが私の障害を笑いものにすれば、彼が真っ先に止めてくれた。「俺のために視力を失ったお前を、二度と傷つけさせない」と言った。
だが今の将司は、ただ苛立ったように急かすだけだ。「みんな待ってる。早く来いよ」
私が一歩も動かないでいると、彼は眉をひそめて言う。
「あいつらも今日はテンションが上がってて、少し口が滑っただけだろ。いちいち気にするな」
誰かが慌てて取り繕う。
「まあまあ、ちょっとした冗談じゃないですか。
ウェルカムボードのお二人のほうが、よっぽど夫婦らしく見えますよ」
ウェルカムボード?心臓がドクンと跳ねた。将司が口を開くより早く、私は隣にいるスタッフの袖をつかむ。
「すみません。ここに、ウェルカムボードが飾ってあるんですか?」
「はい。でも写真は確か、清原様ではなく、南井様……でしょうか?」
目が見えないことをいいことに、結婚式の会場にまで、将司と理穂の写真が飾られていたのだ。
周囲が不気味なほど静まり返った。長い沈黙のあと、将司がようやく口を開く。
「怜、違うんだ。話を聞いて……」
「説明なんて、いらない」
私はかすれた声で言う。
「結婚はやめる」