身重の私を捨てて、後悔しても遅い第1話
第1話は約2,369文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
私の名前は篠原優(しのはら ゆう)。
妊娠七ヶ月、夫の長谷川翔(はせがわ かける)は私を「汚い」と嫌った。
「俺に触るな!」
玄関先で、彼は嫌悪感を露わにして私を突き飛ばした。
「油臭えんだよ、吐き気がする」
その声を聞きつけて部屋から出てきた義母は、煮込んだばかりの特製スープを翔に差し出した。
「優、翔が潔癖症だって知っているのに。
妊娠してるからって、自分の身なりくらい清潔にできないの?
翔は仕事で疲れてるんだから、少しは気を遣いなさいよ」
私はその母子を見て、胃の中が引っくり返るような吐き気を催した。
背を向けた瞬間、スマホの画面が光り、一枚の写真が目に飛び込んできた。
翔の新しいアシスタント、小林莉奈(こばやし りな)だ。
写真の中の女は、親しげに翔の肩に寄りかかり、満面の笑みを浮かべている。
* * *
私の名前は篠原優(しのはら ゆう)。
妊娠七ヶ月、夫の長谷川翔(はせがわ かける)は私を「汚い」と嫌った。
「俺に触るな!」
玄関先で、彼は嫌悪感を露わにして私を突き飛ばした。
「油臭えんだよ、吐き気がする」
その声を聞きつけて部屋から出てきた義母は、煮込んだばかりの特製スープを翔に差し出した。
「優、翔が潔癖症だって知っているのに。
妊娠してるからって、自分の身なりくらい清潔にできないの?
翔は仕事で疲れてるんだから、少しは気を遣いなさいよ」
私はその母子を見て、胃の中が引っくり返るような吐き気を催した。
背を向けた瞬間、スマホの画面が光り、一枚の写真が目に飛び込んできた。
翔の新しいアシスタント、小林莉奈(こばやし りな)だ。
写真の中の女は、親しげに翔の肩に寄りかかり、満面の笑みを浮かべている。
「翔、どういうつもり?」
私の問いかけは静かだったが、リビングにいた母子二人の動きを止めるには十分だった。
翔は、手を拭いたウェットティッシュをゴミ箱へ投げ入れた。
「人の言葉が分からねえのか?俺に触るなっつってんだよ」
その声には隠しきれない嫌悪が滲んでおり、その言葉が針のように私の皮膚に突き刺さる。
義母もすかさず加勢した。
「私の時はねえ、夫のために家事を完璧にこなして、主人のスリッパだって私が手洗いしてたのよ。
それなのにあんたは?専業主婦のくせに家事もろくにできないし、一日中髪もボサボサで薄汚い格好して……翔が嫌がるのも無理ないわ」
敵意を剥き出しにしてくるこの親子を見て、私は思わず笑いが漏れた。
エプロンの油汚れは、翔の食事を作っていて跳ねたもの。
ゆったりしたコットンのワンピースは、妊娠中でも楽に着られて、きれいに見えるように作られている。
爪先の開いたスリッパは、妊娠で浮腫んだ足でも便利に履けるようにするためだ。
それを、この人は「ボサボサで薄汚い」と言うのだ。
「翔が潔癖症なのは、私が誰よりもよく知っています。
だから毎日消毒液で床を三回拭いて、食器は毎食除菌乾燥機に入れているし、部屋の隅まで埃一つないようにしてます。
お義母さんには、それが見えないんですか?」
私の反論に義母は言葉を詰まらせたが、すぐに顔を真っ赤にして逆ギレした。
「ベビー服をベランダなんかに干しっぱなしにして!埃や雑菌まみれになるじゃない!」
彼女はベランダを指差した。
そこには、今日私が手洗いして干したばかりのベビー服が並んでいる。
すべて最高級の赤ちゃん用洗剤を使って、私が一枚一枚丁寧に洗ったものだ。
それさえも、彼らにとっては「汚い」証拠になるらしい。
「洗い直せ」
翔が冷たく言い放った。
「熱湯消毒して、乾燥機で乾かせ。外に干すなんてありえねえ。汚ねえぞ!」
露骨な嫌悪感に、心臓を雑巾絞りにされたように痛む。
私はその場から動かなかった。
「翔、あの服は綺麗よ」
「ふざけるな!」
彼はやっと顔を上げ、私を睨みつけた。
かつて私をときめかせたその顔には、今や冷ややかな軽蔑しか残っていない。
「ふざける?私が?」
「優、お前、どうかしてるぞ。
俺はただ綺麗に生活がしたいだけだ。それが何が悪い?
お前が薄汚いのは勝手だが、俺の子供までこんなゴミ溜めに引きずり込むな!」
ゴミ溜め?
私が宝物のように大切にし、毎日必死に守ってきたこの家が、彼にとってはゴミ溜めなのだ。
怒りで体が震えた。
「あなたの言う綺麗って何よ?
私が消えれば、この家は綺麗になるって言いたいの?」
私の問いかけに、彼は激昂した。
「また始まったか!話になんねえよ!」
彼が勢いよく立ち上がった拍子に、傍らにあった観葉植物の鉢が倒れた。
ガシャーンという音と共に鉢が割れ、土と破片が床に散乱する。
翔は咄嗟に飛び退き、散らかった床を指差して私に怒鳴った。
「何ボーっとしてんだ?さっさと片付けろ!見てるだけでイライラする!」
義母もここぞとばかりに口を挟む。
「まったく、これだから気の利かない女は!
あんたなんか嫁に貰うんじゃなかった。
とんだ貧乏くじを引いたわ!」
私は散らかった床を見つめ、それからそっくりな冷たい顔をした親子を見やった。
何も言わず、私はキッチンに入り、作ったばかりの一汁三菜をすべて生ゴミ入れにぶちまけた。
音を聞きつけた翔が、キッチンの入り口に飛んできた。
「何してんだ!俺はまだ飯食ってねえんだよ!」
私は振り返り、彼を静かに見つめた。
「汚いでしょう? こんな汚いものを食べたらお腹を壊してしまうから」
言い終わると、私はエプロンを外してゴミ箱に叩き込み、寝室に入って鍵をかけた。
「おい!」
翔は怒鳴りながら追いかけてきたが、閉ざされたドアに阻まれた。
私はドアに背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。
スマホの画面では、莉奈の挑発的な笑顔がまだ光っている。
私はその写真を削除も返信もしなかった。
ただ、その写真と、添えられた悪意に満ちたメッセージを保存しただけだ。
そして、別のチャット画面を開いた。
【起きてる?調べてほしい人がいるの。これから離婚するわ】