身重の私を捨てて、後悔しても遅い第2話
第2話は約1,758文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
送信完了。
顔を上げると、薬指に嵌めた結婚指輪がまばゆく輝き、視界に入り込んだ。
鼻の奥がツンと痛んだ。
私と翔は、大学の弁論大会で知り合った。
あの頃の彼は、潔癖症なんてなかった。
私が残したものを平気で食べてくれた。
一本のストローで飲み物を回し飲みしてくれた。
生理でシーツを汚した時だって、嫌な顔一つせず洗ってくれた。
結婚してからも、記念日を欠かさず覚えていて、サプライズを用意してくれていた。
それから、私は妊娠した。
初期の頃はつわりが酷く、ホルモンバランスの影響で何を食べても吐いてしまい、心も体もやつれ果てていた。
最初は翔も心配して、抱きしめて優しくしてくれたりした。
それが次第に、指一本触れようとしなくなり、帰りも遅くなっていった。
やがて、私が汚いと罵り始めた。
私が吐いた後のトイレを嫌がり、私から「妊婦の酸っぱい臭いがする」と言い出した。
ついには、寝室まで別になった。
私はこれを、妊娠中特有の倦怠期だと思い込もうとしていた。
子供が生まれれば、また元通りになると信じていた。
莉奈という女が現れるまでは。
彼女は翔の新しいアシスタントだ。若くて綺麗で、愛想がいい。
私はすぐに、二人の間に漂う甘ったるい空気を感じ取った。
彼女が翔を見る目は、あまりにも熱っぽく、隠そうともしていなかった。
そして翔もまた、彼女に対しては特別だった。
彼女がパクチー苦手なのを覚えていてわざわざ取り除いてやったり、彼女の冗談に声を上げて笑ったり……
私が久しく聞いていない、あの屈託のない笑い声で。
ただ、確証だけがなかった。
――ピロン。
通知音が私の回想を断ち切った。
親友の桐島遥(きりしま はるか)からのメッセージだ。
【小林莉奈。S市出身、1999年2月11日生まれ。現住所は南区6丁目。両親は他界】
添付された写真には、翔が莉奈にネックレスをつけてやっている姿が写っていた。
見覚えのあるネックレスだ。
つわりで苦しむ私を慰めるために、翔が「買ってやる」と約束してくれたものだ。
けれど三ヶ月待たされた挙句、彼が言ったのはこの一言だけだった。
「たかがネックレスに数百万円なんて、金の無駄だ」
今、その「無駄」なはずのネックレスが、別の女の首で輝いている。
無駄なんかじゃない。
私にはその価値がない、ということだ。
怒りと屈辱がこみ上げ、胸が張り裂けそうになる。
夜十一時、寝室のドアが開いた。
翔は私と目が合うと、まだ起きていたのかと一瞬驚いた顔をした。
私は冷ややかな目で彼を見据え、彼と莉奈の写真を目の前に突き出した。
「これはどういうこと?」
写真を見た翔は、眉をひそめた。
言い訳すらしようとしない。
「俺を探ったのか?」
彼は私のスマホを奪い取り、床に叩きつけた。
スマホの画面がバキバキに割れた。
「優、お前頭おかしいんじゃねえか?
いつからそんな金にがめつい、執念深い女になったんだ?
仕事の付き合いで部下にプレゼントしただけだろ?それが分からねえのか?
一日中家に引きこもって何もしねえから、頭が腐って変な妄想ばっか膨らむんだよ!」
彼は私を見下ろし、まるで私が理不尽なことを言っているかのように罵倒した。
「数百万のネックレスが、ただの仕事の付き合いだって言うの?
翔、私を馬鹿だと思ってるの?」
彼は突然、般若のような形相で怒鳴り出した。
「この狂ったヒステリー女が!
いいか、優、食わせてるのは俺だ!家のために金を稼いでるのも俺だ!
俺の金をどう使おうが俺の勝手だ、お前に指図される覚えはねえ!
これ以上騒ぐなら、生活費は一銭もやらねえからな!
お前とガキがどうやって野垂れ死ぬか、見ものだな!」
典型的な経済的DVだ。
彼はついに化けの皮が剥がれ、醜い本性を露わにした。
彼を見ていると、急にどっと疲れが押し寄せてきた。
胸に風穴が開いたようで、冷たい風が吹き込んでくる。
もう言い争う気力もなかった。
私は淡々と言った。
「スマホ、六万円、あなたが壊したんだから、弁償して」
予想外の言葉に、彼は一瞬呆気に取られたが、すぐに財布から札束を抜き出し、私の顔に投げつけた。
「これで足りるか?足りなきゃもっとやるよ!」
一万円札が床に散らばる。まるで私の惨めさを嘲笑っているかのようだ。
私は拾わなかった。
布団をめくって横になり、彼に背を向けたまま言った。
「出て行って、あなたが汚くてもう耐えられないの」