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霧に沈み、あなたを忘れる第2話

第2話は約2,157文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。

扉の外から突然足音が聞こえ、絵蓮の思考は途切れた。

顔を上げると、ちょうど衡稀の視線とぶつかった。

彼は、ひとりで食卓に座る彼女を見て、無意識に壁の時計へと目をやった。時刻はまもなく十一時。

わずかに眉をひそめたものの、何も言わず、そのまま階段を上がっていった。

挨拶ひとつもなく、まるで赤の他人のような冷たさだった。

絵蓮の胸に、じんわりとした痛みが広がってきた。それでも、思わず声をかけていた。

「おじさん……夕飯は……」

彼は立ち止まることなく、冷たい声だけを返した。

「梓と食べた。何度も言ってるだろ?待たなくていいって」

言葉の終わりは、扉が閉まる音にかき消された。

絵蓮の胸がきゅっと締めつけられ、目の奥がじんと熱くなった。

昔は、衡稀がこんなふうに話すなんて、考えもしなかった。

彼は、両親を亡くしてから一人になるのを怖がる彼女の気持ちを、誰よりもよく理解していた。

どんなに忙しくても、必ず食事には付き合ってくれた。

海外出張のときも、できるだけ早く戻ってきてくれた。

食欲が落ちる彼女の体を気づかい、いつも寄り添ってくれた。

十数年間、その優しさは一度たりとも例外がなかった。

けど……彼女が初めて想いを伝えた日を境に、すべてが変わった。

彼は意識的に距離をとりはじめ、残業や出張を理由に、顔を合わせようとしなくなった。

誕生日のサプライズも消え、彼女だけに向けられていた特別な扱いも、すべて取り上げられた。

そして梓が現れてからは、彼の視線さえも冷たくなり、まるで他人を見るような目つきになった。

理由はわかっていた。でも、どうすることもできなかった。

絵蓮はただ、冷めた料理に箸をつけ、味のしない食事を喉に流し込むしかなかった。

どんなに品数が多くても、口の中はひたすら苦く感じた。

腹七分目ほど食べたところで食器を片づけ、彼女は静かに彼の部屋の前へ向かった。

軽くドアをノックした。

衡稀がやや不機嫌そうに眉をひそめながらドアを開けた。口調も冷たかった。

「何度言わせるんだ。用がないなら来るなって」

絵蓮は唇をきゅっと噛み、両手を握りしめて言った。

「おじさん……部屋を変えたいの」

一瞬、衡稀の顔に驚きの色が浮かんだが、すぐに無関心そうな様子で答えた。

「変えたければ変えればいい」

彼女は黙ってうなずき、自分の部屋へ戻っていった。

大きな掃き出し窓、センス良く揃えられた家具、そして服や靴やバッグで埋め尽くされたウォークインクローゼットを見渡すと、胸の奥にかすかな虚しさがよぎった。

この部屋は、別荘の中で最も広く、陽当たりも一番良い部屋だった。かつては衡稀の寝室だった。

彼女が京極家に来た日、彼はこの部屋をまるごと譲ってくれた。

「うちの絵蓮はお姫様だ。お姫様には、一番いい部屋が似合うだろ」

そう言って、彼は優しく彼女の髪を撫でた。

でも今、彼女はこの家を出ていこうとしている。

いずれこの部屋には、梓が入ることになるのだろう。

……自分は、ただの居候にすぎない。

主寝室に住む資格なんて、最初からなかったのだ。

だから彼女は、部屋を変えたいと言った。

場所を譲るため、そして、荷物を整理するために。

翌日昼すぎ、彼女はすべての荷物を廊下の突き当たりの小さな部屋へ運び終えた。

そこはもともと、衡稀の書斎だった。

片づけを終えると、彼女はパスポートなどの書類を手にして階下へ向かった。ビザの手続きに出かけるつもりだった。

リビングを通り過ぎるとき、彼女は軽く頭を下げただけで、以前のように明るく声をかけたりはしなかった。

衡稀は、彼女のそんな静かな様子にどこか違和感を覚えていた。

うつむき加減でおとなしく、何も言わずに部屋を出ていこうとする姿を見ていると、以前とはどこか違って見え、つい声をかけてしまった。

「こんなに雪が降ってるのに、どこ行くんだ?送っていこうか?」

あまりにも久しぶりに聞く「送る」という言葉に、絵蓮は一瞬、立ち止まった。

「……今日はクリスマスでしょ。デートの予定、あるんじゃないの?」

その小さなつぶやきは彼の耳には届かなかったようで、彼は聞き返した。

「なんだって?」

彼女は視線を落とし、拳をぎゅっと握りしめた。

「昨日、ニュースで見たの。おじさん、オークションで何億もするダイヤのネックレスを落札してた……たぶん今日、梓さんに渡すんでしょ」

その言葉に、衡稀はその場で動きを止め、思わず何か言いかけた。

「それは俺が……」

だがそのとき、玄関のチャイムが鳴った。

間もなく、ニットのツイード地のワンピースをまとい、腰まで届く巻き髪を揺らしながら梓が現れた。

完璧なメイクの彼女は、自然に衡稀の腕に絡みつき、甘えた声を響かせた。

「衡稀、クリスマスプレゼント用意したの。何だと思う?」

……やっぱり、思った通りだった。

絵蓮はそっと目を伏せ、寂しげな微笑みを浮かべた。

もう離れると決めたせいか、以前のように胸が張り裂けるような痛みはなかった。

ただ、少しだけ後ろに下がって、二人の通り道を空けた。

衡稀は何も言わずに梓の手を取り、出かけようとした。だがそのとき、彼女にも声をかけた。

「一人で出かけるな。どこに行くなら、俺が送っていく」

絵蓮は思わず立ち止まり、そっと言葉を返した。

「……ありがとう、おじさん」

それは、心からの「ありがとう」だった。

そして、心からの「おじさん」だった。

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この目録には次の本の第1章から第3章までが収録されています: 霧に沈み、あなたを忘れる。本の残りは公式アプリでお読みいただけます。

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