風のような愛、空ろな心第3話
第3話は約1,440文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のうち最後の章です。第4話は公式アプリで続きます。
彼の指す方へ目をやると、テーブルの上に湯気の立つ麺が二杯、きちんと並んでいる。
このときになって、私は怜司が料理をする人間だと気づく。
――昔、私は外食が口に合わなくて、吐いてばかりで、胃が痛んで汗まみれになって、家でお粥が欲しいと言ったのに、彼は「作れない」と言っていた。
そうか、できないんじゃなく、私には作りたくなかったんだ。
私は軽く笑って断り、夜の会に持っていく誕生日祝いを用意しに二階へ上がる。
本来なら離婚の手続きの中で、出席する義理はない。
けれど今夜の主役は岩谷栄子(いわたに えいこ)――私の最初のクライアントで、私と怜司の仲を取り持った恩人だ。欠席はしたくない。
栄子の好みに合わせ、手縫いのトートバッグを用意してある。柔らかな革で、形は簡素。
支度を終えて下へ降りると、怜司が私の行く手をふさぐ。
「どうしたの」
私の冷ややかな視線に、一瞬だけ彼がたじろぐ。だがすぐ、気まずそうに言う。
「今日は行かないでくれ。その贈り物、かんなに回してやってほしい。
かんなはもうすぐ卒業で、岩谷エンタテインメントに入りたい。岩谷会長に気に入られればずっと楽になるし、先の道もまっすぐになる」
彼は知らないのかな――この贈り物に、どれだけ手間をかけたか。一針一針縫うだけで、指先がすり切れるほど……
いや、知っている。
ただ、かんなの未来に比べれば、私は気にかけるに値しない――それだけ。
だから彼は、軽いひと言で、私の労と心をまるごと消し去ろうとする。
ぱきん。
耳の奥で、なにかが小さく割れる音がする。
その直後、胸の中に、驚くほどの軽さと解放感が広がる。
もう、この感情には最後の未練すらない。
私は口角をわずかに上げ、手の中の箱を差し出す。
「いいよ。あなたから渡してあげて」
私と岩谷会長のやり取りは途切れていない。こちらの事情もすべて伝わっている。
今夜は行かなくてもいい。明日、個別に会えば同じこと。
この贈り物については――どれほど心を込めても、相手が違えば無駄になる。
あまりにあっさり頷いた私に、怜司は意外そうに目を見開き、それから笑みを浮かべてブローチを差し出す。
「前からブローチがほしいって言ってただろ。悪かったよ、君の言葉を大事にしてなかった。これからは少しずつ埋め合わせする」
――アメとムチのやり口、彼は本当に手慣れている。
これはバレンタインのとき、私が欲しいと伝え、カートにも入れておいたもの。彼はずっと見ないふりをしてきた。
今日はかんなのためなら、目が利くんだね。
でもね、物が特別であるかどうかは、それを誰がくれるかで決まる。
意味を失った品は、どれほど良くても、もう要らない。
「よし」
怜司は私にブローチを留め、ショールを整える。
「毎日そんなに不機嫌になるなよ。前のことは俺が悪かった。もう怒るな。かんなは長く国内にいられないんだ。あの子のことは大目に見てやってくれ、な?」
彼はいまだに、私の離婚がただの癇癪だと思っている。
説明する気はない。身をひねって彼の手を避けようとした瞬間、彼は私を腕の中へ引き寄せる。
「凪、離婚申請を取り下げよう。もう二度と君を置いていかないと約束する」
言葉は真剣で、思わず、あの冷たく私を切り捨てた怜司が幻だったかのように感じてしまう。
でも、それは一瞬だけ。
扉の方から現れたかんなの身に、同じブランドのセット一式が光るのが見えるから。
そして私は、さっきスマホに届いた広告を思い出す。
セットを買うと、ブローチがオマケ。
ふふ、皮肉。甘い「アメ」でさえ、手抜きなんだね。