クズ旦那と別れた私は愛を見つけた第2話
第2話は約2,010文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
病室へ戻ると、千歌はすぐにスマホを取り出した。そして、ある専門業者へ電話をかける。依頼したのは――自分と真人の偽装死工作だ。
「ご希望の日程は?」
担当者に尋ねられ、千歌はカレンダーを開く。視線が止まったのは、真人の誕生日。
「20日後の、4月19日でお願いします」
昨夜、玲司は約束していた。今年は真人の五歳の誕生日を盛大に祝おう、と。
だったらその日を選ぼう。誰もが祝福する誕生日パーティーで、自分と真人はこの世から消える。
すべての手配を終える頃には、千歌もようやく冷静さを取り戻していた。
それから数日間、玲司は一度も姿を見せなかった。
代わりに秘書が病院へやって来て、こう伝えた。玲司が国内外の眼科医を探し回り、真人の視力を回復させる方法がないか調べている、と。
だが千歌も真人も知っていた。それもまた、真っ赤な嘘だ。
なぜなら、彼は一歩たりとも、奈帆の病室から離れたことがなかったのだから。
退院の日、手続きを終えた千歌たちを迎えに来たのは、意外にも玲司本人だった。
彼は花束とおもちゃのレーシングカーを抱えている。退院祝いだと言って差し出してきた。
二人は喜んで受け取ってくれると玲司は思っていたが、千歌も真人も淡々と断った。
「私は花粉症だから、こういうお花は苦手なの」千歌がそう言うと、続いて真人も小さな声で言った。「ぼく、もう見えないから……レーシングカーはいらない」
玲司の手が宙で止まり、わずかに表情が固まる。
「……すまない。配慮が足りなかった。すぐに別の物を用意させるよ。欲しいものはないか?アクセサリーはどうだ?変形ロボットは?ブランド物の新作バッグとか、チョコレートとか……」
帰宅する車の中でも、玲司は次々と贈り物を挙げ続けた。必死に埋め合わせをしようとしているように見える。
けれど千歌はわかっていた。彼が挙げた物はどれも自分や真人の好みではない。奈帆と彼女の息子、俊太(しゅんた)が好きなものばかりだ。奈帆はいつもSNSにそれらを載せていたから。
玲司と結婚して五年も経ったのに、彼は自分や息子の好みさえ知らない。それでも良き夫、良き父を演じようとしている。
これ以上彼の演技に付き合っていられず、千歌は口を開いた。「私たちは何もいらない。言いたいことがあるなら、そのまま話して」
玲司は少し驚いたようだった。数秒の沈黙が流れる。やがて観念したように言った。
「大した話じゃないよ。実は、奈帆が離婚して子どもを連れて帰国したんだ。しばらく住む場所が見つからなくてな。うちで少し預かろうと思う。来月には出て行く予定だ」
――やっぱり。贈り物の話は、この話を切り出すための前置きだったのだ。
千歌は小さく笑った。目に皮肉しか浮かばない。
もう家へ招き入れることまで決めているのに、今さら自分たちの意見を聞く意味がどこにあるのだろう。
その時、車窓の向こうに、自宅の建物が見えてくる。千歌は「わかった」とだけ短く返事をした。
玲司は彼女の了承を得たことで安心したのか、それ以上何も言わなかった。
車が止まると、玲司はドアを開けて、待っていた奈帆の元へ向かった。ちょうどその時、少し離れた場所から俊太が駆け寄ってくる。玲司は笑顔でその身体を抱き上げた。
奈帆も嬉しそうに微笑む。三人はまるで本当の家族のように自然に並び、そのまま家の中へ入っていく。
千歌は胸が冷え切るのを感じながら、真人を抱いて後を追った。
リビングへ入ると、奈帆が俊太の額の汗をハンカチで拭いていた。「もう、サッカーばかりして。ほら、汗だくでしょ?」
優しくたしなめる声。
それを見た玲司は、俊太の頭を愛おしそうに撫でた。「子どもは元気なくらいがいい」
俊太は得意げに胸を張る。「そうだよね!ずっと家に閉じこもってる目の見えない子より、ぼくのほうがいいでしょ?」
その言葉を聞いて、真人の瞼が震えた。目の周りがみるみる赤くなる。
千歌の胸も締め付けられる。彼女はとっさに真人の耳を塞いだ。胸いっぱいに広がる痛みを押し隠しながら、息子を抱き上げ、そのまま立ち去ろうとした。
だがその時、奈帆に呼び止められる。
「千歌さん。玲司から聞いていると思うけど、私たち、少しの間お世話になることになったの。あなたたちも事故で怪我をしてるから、迷惑をかけないよう、俊太にもちゃんと言い聞かせるわ」
申し訳なさそうな顔をしながらも、その声には隠しきれない優越感が滲んでいた。
千歌は息が詰まった。呆れて何も言いたくない。怒りも悲しみも、絶望さえも押し殺し、真人を抱えたまま階段へ向かう。
その背中に、玲司の優しい声が追いかけてきた。
「奈帆。ここはお前と俊太の家だ。遠慮する必要なんてない。俺にとって、あの二人の方がよそ者なんだから、気にしなくていい」
千歌は寝室へ飛び込み、扉をバンと閉めた。
その音と同時に、張り詰めていた糸が切れ、千歌は真人を抱いたまま床へ崩れ落ちる。
激しく痛む胸を押さえながら、涙が次々と頬を伝った。