五年愛した彼を捨て、私は私を取り戻す第1話
第1話は約1,790文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
友人たちとの飲み会で、恋人の神谷光一(かみや こういち)が「私にはある」ゲームをしようと言い出した。
ゲームの参加者は、「自分だけが経験したこと」を一つずつ挙げていく。
ほかの参加者は5本の指を立て、その経験がなければ指を1本折る。
すべての指を折った人から脱落し、最後まで残った人が勝ちとなる。
勝った者は、光一に願いを一つだけかなえてもらえる。
私・水瀬美月(みなせ みづき)が5年間、光一に結婚を申し込んでは断られ続けてきたことを、そこにいる全員が知っていた。
だから今度こそ、光一が私にプロポーズの機会をくれたのだと、みんな思っていた。
皆が暗黙のうちに私を勝たせようとするなか、彼の幼なじみである小宮山玲奈(こみやま れな)だけが、言葉の端々で私を追い詰めてきた。
「光一と、冬の初雪を見たことがある。
光一から、手編みのマフラーをもらったことがある。
光一の手首のタトゥーは、私の名前のイニシャルなの。
光一の車の助手席は、いつだって私の身長に合わせてある」
4つ言い終えた時、私に残っていた指はあと1本だった。
それでも玲奈はやめなかった。小首をかしげ、私に笑いかけた。
「このゲームだって、私が喜ぶからって光一が付き合ってくれたの」
胸の中が、すっと空っぽになった。
反射的に光一を見ると、彼は玲奈を甘やかすように笑っていた。この5年間、何度もそうしてきたように、今回も彼女を選んだのだ。
私は最後の指を、ゆっくりと折った。
「私の負けね」
その瞬間、ふと思った。
この恋にはもう、惜しむものなど何も残っていないのかもしれない。
* * *
私は恋人の光一と付き合って5年になる。
その5年間、私は彼に5回、結婚を申し込んだ。
けれど、そのたびに「まだその時じゃない」と断られた。
だから今回、光一が「私にはある」ゲームをしようと言い出した時、誰もが同じことを考えた。
光一は、私がもう一度プロポーズできるように、この場を用意してくれたのだ、と。
私もそう信じていた。
自信満々に5本の指を立て、最初から切り札を出した。
「光一に付き添ってもらって、ウェディングドレスを試着したことがある」
言い終えるなり、みんなが笑った。
「さすが、5年も付き合ってる本命の彼女は違うな。いきなり必殺技かよ」
「美月にそれを言われたら、誰も勝てないって。もう諦めて指を下ろそうぜ」
「光一、今度こそプロポーズから逃げられないぞ」
からかう声と笑いが飛び交い、全員が示し合わせたように指を1本ずつ折った。
頬が熱くなった。次の言葉を口にしようとした時、光一の幼なじみである玲奈が眉を上げた。
「待って!」
玲奈は5本の指を立てたまま手を振った。甘い笑顔には、隠す気もない優越感がにじんでいた。
「それなら、私も光一に付き添ってもらったことがあるよ」
顔に浮かんでいた笑みが、一瞬でこわばった。
個室に響いていたはやし立てる声も、しだいに小さくなった。
玲奈だけは空気の変化に気づかないふりをして、むき出しの悪意を目に宿しながら私を見つめた。
「美月さん、次は私の番ね」
唇に笑みを浮かべ、わざとゆっくりと言葉を並べていった。
「光一と、冬の初雪を見たことがある。
光一から、手編みのマフラーをもらったことがある。
光一の手首のタトゥーは、私の名前のイニシャルなの。
光一の車の助手席は、いつだって私の身長に合わせてある」
そこでわざと間を置くと、玲奈はさらに甘く笑った。
「それから、いちばん大事なこと。このゲームだって、私が喜ぶからって光一が付き合ってくれたの」
玲奈は小首をかしげた。
「美月さんには、どれかある?」
一言一言が、逃げ場もないほど容赦なく突きつけられた。
自分の顔から、少しずつ笑みが消えていくのが分かった。
付き合って5年、光一は私と初雪を見たことがない。
手編みのマフラーをくれたことも、私の名前を手首に刻んだこともなかった。
助手席の高さも、私に合わせてくれたことは一度もない。
私は玲奈より背が高い。乗るたびに足元が窮屈で、背筋を伸ばすことさえできなかった。
それでも5年間、光一が高さを直してくれたことはなかった。
手を強く握りしめ、黙ったままの光一を見た。問いかける声は、乾いてかすれていた。
「玲奈の言ったこと、全部本当なの?」
光一は私を見ようともせず、口元だけで笑った。
「ああ」
たった一言だった。
ひどく軽いその言葉が、頭から浴びせられた冷水のように、全身の熱を奪っていった。