結婚する前、ウェディングドレスが血に染めた件第2話
第2話は約2,053文字で、このサイトに収録された3章の冒頭章のひとつです。
目の前に婚約者がいるというのに、智哉の頭の中は莉奈のことでいっぱいらしい。
私が何も言わずにいると、智哉は次第に苛立ち始めた。
「望美もさ、莉奈がああなのは分かってるだろ。なんでわざわざ怒らせるようなことするんだよ」
頭の奥で、何かが切れたような気がした。私はゆっくり顔を上げ、智哉をまっすぐ見つめた。
こうして私のせいにされるのは、初めてではない。
去年、智哉と旅行に出かけたときのことだ。一緒に来ていた友人たちまで妙によそよそしく、何かを隠しているのは明らかだった。
もしかして、プロポーズされるのかもしれない。そう思った私はいつも以上におしゃれをして、浮かれた気分のまま写真をSNSに投稿した。
そのとき、うっかり位置情報まで載せてしまった。
そして、待ちに待ったプロポーズの最中。突然現れた莉奈に頬を平手打ちされ、私はその場に倒れ込んだ。着ていたキャミソールまで乱暴に引っ張られ、胸元が大きくはだけた。
友人たちが慌てて莉奈を取り押さえてくれたが、私が殴り返そうとした瞬間、智哉が莉奈を庇うように、私の前に立ちはだかった。
「なんで居場所なんか載せたんだよ!莉奈が見たらどうなるか、分かってただろ!」
唇から血を流し、髪を乱したまま、私は呆然と彼を見つめていた。
私がプロポーズされたその夜、智哉は友人たちの前で私を置き去りにし、莉奈を連れて行った。
あの日、私は誰からも哀れまれる存在になった。
そして1年後。同じことが、また繰り返されている。
でも、今度はもう我慢しない。
白い照明に照らされた部屋で、私は自分でも驚くほど冷静だった。
「式は中止よ。……全部、終わりにしましょう」
智哉が勢いよく立ち上がった。みるみる顔が強張っていく。
これまでの5年間、どんなことがあっても私からこんな言葉は口にできなかった。
この恋を始めたのは智哉だったのに、いつの間にか追いかけるのはいつも私になっていた。
だから智哉は、この関係を終わらせるのも自分だと信じて疑わなかったのだろう。
私のほうから離れていくなんて、考えたこともなかったはずだ。
智哉の目に怒りが滲んだ。
「……脅してんのかよ?」
脅しなのか。以前の私なら、別れると言えば、少しは私を大事にしてくれるんじゃないか。そんな期待が、どこかにあったのかもしれない。
でも、そんなものが通じるのは、相手に愛されている人だけだ。けれど、どう見ても智哉は私を愛していない。
私と莉奈、どちらかを選ばなければならない時、捨てられるのは、いつだって私だった。
こんな男はもう、いらない。
動揺を隠せない智哉は、私の手首を強く掴み、傷ついているようにも見えた。
「なんで信じてくれないんだよ!俺と莉奈の間には何もないって言っただろ!あいつ、父親がいないから放っておけないだけなんだ」
また「放っておけない」か、もう聞き飽きた。
智哉にとって、莉奈は少しわがままなだけの、放っておけない女の子なのだ。
私を殴っても、罵っても、人前で辱めても。それは全部、莉奈の「わがまま」で済まされる。
なのに、私が一度でもやり返せば、たちまち私が「悪女」扱いされる。
私みたいな「悪女」が、智哉を5年も愛してきた。
智哉が仕事を始めたばかりの頃から、うまくいかない時もずっとそばで支えてきた。
仕事関係の飲み会では、智哉ばかりが酒を飲まされないよう、私は進んで酒に付き合った。
すると莉奈は、私が男遊びの激しいアル中だという噂を広めた。
智哉、私……もう限界よ。
目尻から涙が一筋こぼれた。智哉のためではなく、この5年間、こんな恋にしがみついてきた自分が、ただ哀れだった。
智哉はしばらく私を見つめていた。やがて突然私の腕を掴むと、そのまま外へ連れ出し、車に押し込んだ。
行き先は、私たちが付き合い始めた場所だとすぐに分かった。
椎代山の山頂。
そこには、私たちの一番幸せだった頃の思い出がある。
けれど、智哉は知らない。私にとって、あの場所には忘れたくても忘れられない記憶もあることを。
付き合って2年目のことだった。二人で山頂から日の出を見ようと約束していた。
夜中の3時まで一緒に待っていたとき、莉奈から電話がかかってきた。
「望美、ここで待ってて。すぐ戻るから」
そう言い残し、智哉は泣いて引き止める私を置いて行った。
それから1時間ほどして、雨が降り始めた。
私は仕方なく、一人で真っ暗な山道を下りることにした。
ところが、山道を半分ほど下ったところで、不意に薄汚れたチンピラが現れた。
男はいやらしい目で私をじろじろ見たかと思うと、いきなり飛びかかり、地面に押し倒した。
男は臭い息を吐きながら私の顔に口を押しつけ、私が悲鳴を上げると、すぐさま頬を平手打ちした。
頭がくらくらして、次第に抵抗する力もなくなっていった。そんな中、地面についた手がふと石に触れ、私はとっさにそれをつかむと、力いっぱい男に叩きつけた。
その隙に一気に逃げ出し、そのまま山を駆け下りた。ようやく家までたどり着き、ドアを開けると、智哉は何事もなかったかのように、莉奈のためにホットココアを作っていた。